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何をやっても一流になれなかった。

趣味のテニスも、教員の仕事も、出版活動も、SNSでも、その技量や知識は二流・三流。社会に対して何ができたかと問われた時、胸をはって答えることができない塵(ちり)のような人生。

しかし、それでも生きてきた価値はあると、「自分さがし」に必死な今日この頃。

批判を恐れずに自分の意見を述べている人は尊敬に値する。そういう人は、批判に対して言い返せる力量も持ち合わせている。自分がそれができないのは学びが足りないからだと思うし、その学びは、批判されることをくぐらなければならない。ブレない自分軸をつくることが新年度のテーマだ。

自分は批判や失敗に弱い。批判的な意見を言われただけでオタオタとあわててしまったり、言い訳を考えようとしたりする。こういう性格では、他よりも一つ抜き出ることはできないと思っているのだけど、60年以上このように生きてきたのだから……と、あきらめている。それよりも得意な面を伸ばしたい。

大学の教員が うまくしゃべれない などと言っていては ある意味 無責任だと言われても仕方がない 

しかし常に成長することが大切だと思っている私は そのきっかけを「失敗」に求める 「失敗」に全ての答えが隠されているはず 「失敗」をどう (良い意味で)引きずるかは大切だ

テニスの試合(ダブルス) 2回戦で敗退

負け方が 全くかなわない といった感じでショックが大きい

60歳以上の大会で 相手は同世代なので言い訳はできない

これからのテニスへの向き合い方まで考えさせられる負け方だった

とりあえずテニスからは距離を置こうかな

初めて研修会で発言した 何を言っているのか自分でもわからなくなり最後は笑ってごまかした その後 かなり長い時間落ち込んだ これは話すスキルの問題だろうか周りとの関係性 発言の内容とその場の空気とのバランス そういったことが 全て悪い方向に転がった感じだ 伸びしろがあることを信じて

うまくいかない と予想されることこそ受け入れて チャレンジするべきだと思うのだけれど この歳になっても(66歳)頑張れるのだろうか と思ったりもするわけで…… そもそも定年退職した時 これでゆっくりできると思っていたことは間違いだと 今更ながら気づいたりしている

人生 無駄なことはない 失敗はもちろん ダラダラした生活…… そして運が悪くてつらい思いをすることも 全て無駄なことではない だから うまくいかないと想定されることも 逃げないで 勇気を持って受けとめようと思う うまくいかないと予想される仕事を依頼された日に……

「そんなのウソに決まってる」と思えることがネット・SNSというトンネルをくぐったとたん真実だと思うようになる時代だ TV世代の私は それがもしテレビで流れてきた情報ならばますます信じてしまうだろう 真実を見極める学びってどうすれば良いのだろう それは「まずは疑う」ことから始まるのかも

TikTokを観るようになってからかなぁ 都市伝説や人類滅亡論 等々が頭をよぎって恐くなってしまうようになった いかにも真実であるかのように動画が編集されているので あらためて情報を受け取ることの難しさを感じている メディアリテラシーと「批判的な学び」が必要な時代になっていることを実感

日程調整ツールが広がってから 自分の日程が把握できなくなったりしているのはなぜだろう

おそらく 日程には「遊び」が必要で 何かある日を大切にするためには 何もない日が大切だということなのかもしれない 日程調整ツールが 何もない日のすみずみまで侵食してくるような感じがすることがある

日程調整するネットツールがいくつかある しかし全員が参加できる日はなかなか見つからない 逆に、誰かが不参加であることがわかりながら実施しなければならないことがあり 気まずくなってしまうこともあるので注意 今日は三つの会議と一つの研修がある 一日に詰め込みすぎだと思うのだけれど……

高齢者の体重増は命にかかわるので真剣にならざるおえない 血圧や血糖値が上がっていることがわかったら 即時に対応する 特に私は 心筋梗塞経験者なので よけいに気を遣わなければならない 血がドロドロになって血管を傷つけて その結果として 血栓をつくり出してしまうことが一番の注意事項

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