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3ヶ月でマスターする世界史 第2回学習メモ 

・前753年ローマ帝国(初代皇帝:アウグストゥス)
カルタゴ打破により建国
交易の関税で国営(ローマ帝国・パルティア・クシャーナ朝・後漢が並立)

・184年
後漢滅亡(疫病・干ばつ・洪水→黄巾の乱)
→絹織物産地が壊滅してシルクロードに大打撃

・395年
ローマ東西分裂(後漢滅亡と同時期くらいからアントニヌスの疫病(感染症)蔓延と周辺地域との戦争、疲弊するなか経済もまわせず)

3ヶ月でマスターする世界史 第2回学習メモ 

・オリエントとの類似点
交通網(=すべての道はローマに通ず)
※交通網自体は前6世紀アケメネス朝ペルシャが由来
例)ティムガッド
100年頃トラヤヌス帝により設立された現アルジェリアに存する古代ローマの植民都市。碁盤の目状であり交通網の起点であることを示す

・ローマの特色:市民権
同じ民主主義の萌芽として比較される古代ギリシャとの大きな違いでもある
🔜古代ギリシャ(ポリス民主政):市民権なし
…両親がアテネ人である場合に認める(前451年ペリクレスによる市民権法)
🔜古代ローマ:市民権を広く認める
兵役25年で市民権を認める等
※212年にカラカラ帝がアントニヌス勅令を発して帝国内の全自由民に市民権を与えたがこれが衰退の端緒にもなっている

・ロムルスとレムス
ローマの建国神話に登場する双子の兄弟。狼の乳を吸う謎の像のやつ。
y-history.net/appendix/wh0103-

3ヶ月でマスターする世界史 第2回学習メモ 

・フェニキア人
ヘロドトス「歴史」にフェニキア人の記載があることからそう呼ばれている、レバノン周辺に居を構えた海上貿易に従事する集団(セム語系)
時代がどうも異なる気がするので番組内でどういった文脈で呼ばれていたかあとで見直す必要

・東ローマには宦官がいた
ビザンツの宦官については下記も参照
kyoto-up.or.jp/books/978487698

・4~6世紀ゲルマン民族大移動
近年での一説によると気候変動によるものではないかといわれている(樹木の年輪幅により夏季の気温の変動が判明。寒冷から乾燥に移行したと思われる)
気候が変われば政治も変動するため、時代が大きく変わる時機が訪れたと思われる。
4~6世紀 ゲルマン民族大移動395年 ローマ東西分裂
476年 西ローマ滅亡
→アングロサクソン七王国・フランク王国・東ゴート王国・西ゴート王国にわかれ現代の礎に

・オリエントが豊かさを維持し民族移動に耐えられた理由
コンスタンティノープルが難攻不落の城塞であった(※1453年に陥落したことが歴史的大事件になるレベル)

3ヶ月でマスターする世界史 第2回学習メモ 

Q.なぜローマはヨーロッパの源流?
A.当時迫害されていたキリスト教をコンスタンティヌス大帝(彼が治める西側にはキリスト教徒はほぼいない)が容認、改宗したことでローマ公式宗教に。
ローマは宗教的に寛容だったがそこからキリスト教公認化によりキリスト教へ傾倒していったことから現代の源流になったのでは?

ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス(コンスタンティヌス1世)は306年~西方を統治。
3世紀の危機とも呼ばれる変動の多い時代の後に在位した彼もまた統一のために動き、324年ローマ皇帝となる(※この後395年にローマ東西分裂)

コンスタンティヌスの即位前のキリスト教の扱いについては下記も参照
y-history.net/appendix/wh0103-
映像で流れたカタコンベもキリスト教徒が隠れて信仰を守るための施設である

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