『ホロコーストとナクバ——歴史とトラウマについての新たな話法』の序文(第1部第1章で力尽き中)、にモナ・ハトゥムのエルサレムで行ったサイトスペシフィックな展示『Present Tense』(1996)が、“ナショナルなホロコーストの歴史的解釈の断絶”エピソードで出てくる。ナブルスのオリーブ石鹼の香りとWWⅡの人間石鹸の存在しない香り
https://www.aluo.uni-lj.si/en/objava/mona-hatoum-present-tense-1996/
世田谷美術館での馬六明(マー・リューミン)のパフォーマンスの記録(長谷川祐子)。携帯電話にカメラが付く前の公共の場に現れた裸体なんだよなあ。
https://artscape.jp/museum/nmp/nmp_b/column/Mar04-a_j.html
モナ・ハトゥムは世田谷美術館の展覧会『デ・ジェンダリズム~回帰する身体』(1997)に参加している。図録の実物を古本屋でぱら見したのみ
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00083
>タイトル、「デ・ジェンダリズム」は、ある人間のアイデンティティを問うとき、まず男か女かを問い、そしてその社会的役割(ジェンダー)というフィルターを通して「その人は何なのか」を判断しようとすることへの疑問から始まって…