中国ってやっぱりこういうのが好きなのかなあ。

魏晋南北朝時代の志怪小説なんかにも迷子札その他色々と掲示物を出した話が出てくるし、そもそも掲示物が好きなのかも…

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私が考えておりましたのは、この「戴罪」という文化ってそういえば西洋に直接ない気がする、というものでした。「十字架刑」や火刑の「公開処刑」の類はあるものの、わかりやすい「戴罪」ってない気がするな……と。

ヨーロッパでも中世から19世紀にかけて「ラフ・ミュージック」とか「シャリバリ」なんていう一種の儀礼化された民衆暴動の一類型があって、そこで似たようなことをしていたかも…。

ただ、罪過を書き記したものを掲げるんじゃなくて、罪過(一般には不義密通とか不当と考えられた再婚など)を象徴する品物を掲げて罪過ある人の家の前で鍋などを叩いてバカ騒ぎをした、という点が違いますね。

はい、いわゆる pillory ですとか、 scarlet letter みたいなものはあるにせよ、「私は反革命分子です」やら「私はお客様にストローを出すのを忘れました」みたいなものを首から下げさせられて罵倒される、といった世界観とは結構距離があるなあ、と思いまして。罵倒されることに変わりはないにせよ、明示的な罪状(?)の宣言を科せられる、というの点に何かしらのこう、恥(?)という概念に差があるのだろうか、と思うなどした次第です。

或いは識字率の差なんてものが影響しているのかもですね。中国だと古代から少なくとも士大夫階級や、科挙に応じるクラスの良民であれば当然に読み書きができたわけで…

なるほどですねー。難しいなー……。こう、「シャリバリ」や「ピルロリ」は結構地域のコミュニティレベルで晒し上げる、というような印象があったのですが(「ピルロリ」の方がより公的)、それと対置する形で、「戴罪」はもう少し公的なものか、と思いましたが、よく考えると中国では遺伝子レベルで「戴罪」が染み込んでいるのではないかというぐらいこう、罪人を引きずり回したりしている気がしているような気もしており(笑)こう、中国は、首からなんか札を下げていてしょんぼりしている奴は基本罪人なんだな、みたいな常識(?)が識字率以前にあるのかもしれないな、と(笑)

なんといいましょうか、私は中国語を一定読解できるのでそれはともかく、あの画像を見ると、中国語が読めなくとも、注釈がなくとも、こいつはなんかしくじって首から罪状を示す札をかけさせられているな、と一発でわかる文化的背景の共有と申しましょうか。

やはり日本も漢字文化圏ですし、なんやかんや言って非常に強く中国の倫理の影響を受けていますからね。

確かにそういった概念が、習うまでもなく一般化・内面化してしまっている可能性はあるのかも知れませんね。

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