新約聖書における唯一神の性格は無条件の愛と赦し(ちなみに旧約聖書ではまるで性質が異なり「妬む神」)が強調されているが、クルアーンでの唯一神の性格は公正や理性が強く強調されていて倫理とそれに伴う法を強調する側面が強い。

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イスラム教におけるクルアーンは、倫理や法を含む包括的な指針を提供していて、宗教的正当性に基づく国家の統治を正当化する役割を果たしてきた。これは、近代国家が暴力の独占を行う以前の段階で、既に社会と法に関する包括的な枠組みが存在していたことを意味する。

キリスト教初期の教会は国家権力との関係において、暴力の行使を直接支持する立場ではなく、むしろ、初期のキリスト教は非暴力や殉教を強調し、暴力に対する非常に慎重な姿勢だった。転換はコンスタンティヌス帝の時代で、キリスト教がローマ帝国の国教となると、教会と国家の結びつきが強まり、国家が暴力を独占する権利を持つことが、ある種の神の秩序の一部として正当化されるようになった(正確に言えばアンブロジウスがその路線を敷いた)。

長々と書くのも面倒だが、ナポレオンは優れた軍事指導者であったのと同様に、ムハンマドもそうであった。しかも両者ともそれぞれナポレオン法典とクルアーンを遺したという点で共通点がある。ナポレオンに関して言えば、ローマ・カトリックがクソだったので世俗主義を取った。

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