舞台『Art』を観に行った感想です。 

・舞台『Art』、仲良しなおっさん同士の片われが白い絵を買ったのをきっかけに険悪になった末に腹を割って話そう〜Happy end〜となる話でした。『イニシェリン島の精霊』もそうだったが、令和はおっさん同士の大喧嘩が大人気なんですか?
・パンフで『脱構築』がネクストコナンズヒント(?)になってたので「おっ、現代哲学か!?」と身構えてたら、そこまで難しくないコメディ戯曲で安心した。
・なお、『脱構築』はジャック・デリダが提唱した「二項対立つまり二つの概念の対立の捉え方から“脱出”する」という考え方なのですが、この戯曲もその構造に即していると思うんですよね。
「 新しいもの<セルジュ>/古いもの<マルク>」「支配的<マルク>/非支配的<セルジュ>」という対立構造があり、従来のその構造から脱却し「再びやり直して友情を築こう」というのは『脱構築』だと思います。
二人の橋渡しとなるイヴァンはある意味二人の関係性<構造>から逃れた=独立していると思うのですが、彼はこのいざこざを契機として「過去の自分/未来の自分」という内部的な対立構造を経由し「新しい自分を見出すこと(=己の涙脆さ)」が出来たのではないでしょうか。
・千葉雅也の『現代思想入門』を読んでくれ〜!

続き 

・大泉の脚が長い!!!細い!!!チェック柄シャツサスペンダー眼鏡の組み合わせめちゃくちゃ良くて元気になる。約束に遅れながら二人に合流した途端捲し立てるように早口でぼやき続けるイヴァンを見て「あっこれがあるから大泉が適役なんやな」と思った。
・今回の焦点となったオブジェクト=「白い絵」ですが、ピーター・ブルックの『なにもない空間』における“神聖なるものが目に見える具体的なものを通して目に見えないものを切望した結果だとすれば”という記述が一番言い表してると思うんですよね。その“神聖さ”の「不可視さ」を偶像崇拝するならば………

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