実家の父の書斎にあった辰濃が書いた古い『天声人語』のハードカバー本を愛読していたので、わたしは昭和時代後期の人物にやけに詳しい
電車内で辰濃和男の『文章の書き方』を立ったまま読んでいる女性がおりとても格好いいと思った
体調が終わり続けている。さすがに長くね。
地獄のような体調だ 今週の目標は 倒れない です
私自身にとっての人生の時間の中で、「動物園文化」に賭けたひとつのタームが終わりつつあることを意識せずにはいられない今、『下丸子文化集団とその時代』を読む機運が高まってる(刊行当初、レトリカでの活動が最盛期を迎えていた瀬下さんがツイートされていて、非常に関心を持っていたが結局未読のままになっていた)
ここに挙げた3名の方のように、内発的な強い動機と制度/組織/業務との乖離をきっかけに組織から離れ、自己の信じる表現の道へと進んでいる男性の先輩は、私の知る限り皆無である。いや、いるのかも知れないが、不可視化されている。はっきりと言えば、ロールモデルがないのである。
(法が高らかに謳おうとも)命や人生を投げ打つほどの滅私の時代ではもはやなくなったのだし、大多数は「うまいことやっている」のだろうか。私自身も今は納得して自己を組織に最適化させており、その足場を礎にして生活を組み立てようとしているが、違和感を拭い去れなかったとき、しなやかにそよいでいけるだろうか。そよ風の季節は終わり、まとわりつく梅雨がやってくる。
「魂が求める方向に」という転身の動機を語っているもうひとりは、コーチャーとして活躍しアーティストとしての活動も展開している川端元子さん。半年だけ近い部署で働いたこともある。退職される直前の親睦会で「視野を広く持ち続けてね」と声をかけてもらったことを思い出す。
https://galleryconceal.com/blogs/past-exhibition/2022-9-11-17-川端元子-個展-生命の輝きについて
生活綴方の安達茉莉子さんも高埜さんより早い時期、同じような軌跡を辿って組織を出ている。安達さんの柔らかい文章に何度も救われてきたが、そこに辿り着くまでにどんな苦難があったか、想像を絶する。
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