人生のほんの一瞬すれ違い、粗末に付き合い、やがて離れていったひとたちについて
iminoyamai君の件だけではない。
僕に短歌を教え2021年の秋にこの世を去った詩人・うみのひとへ執着にも近い巨大な感情を今もなお抱き続けてしまったり、僕の人間関係の作り方の履歴を振り返ると、インセルと呼ばれる人々独特のあの「拒絶と未練」がないまぜになったコミュニケーションの取り方とも近しいものがあると警戒している。
今は噛み合っていて、公私とも社会の中で社会をやっているけれど、「私はあいつらとは違う」とは言い切れない。それが怖い。
紀貫之をひとつの理念型とする「ひらがなのをとこ」概念によって私は私自身(=加害する性としての男性性)を解体しようと試みているが、私はいつでもあちら側に行ってしまう可能性があるのだ、というおそれは常に抱いていたい。