万事、それはそれ、これはこれ。そんなふうに瞬間ごとに振り分けられる能力と人徳が備わっていればなにも悩むことなどないのだろうけど。13年前からずっと脱原発を望んできて、福島に住むようになって、あれほど警戒していた地元の産品をデフォルトで食べるようにもなったけど、それはけっして安全が確認出来たからでなく、保障されたわけでもなく、この土地でふつうに暮らすということの一部になったからであり、ある意味自ら進んでモルモットになった心持ちを自分で受け入れる、そんな諦観にも似た意識からなんだと思う。戦争も、占領政策も、あまたの公害問題も、きっとこういう次元に落とし込まれるからこそこの世から悲惨の二文字はなくならないんだろうと身をもって感じる日々。