この国には自分の生活を決める政治に参加したくない人が山ほどいる。都市生活者の頃はその感覚がまったくわからなかったが福島の山村に移住してそれが少しわかってきた。この国ではほんの80年ほど前まで自分の意志を表明するとかそれ以前に自分の中でそれを明確化するとかいうことは「罪」だったのだ。とにかく多数の他人の思考に合わせることこそが生き残るための大前提だったから。福島の山村ではその指向が今なお強く残っている。人とはすなわち労働力のパーツであり頭数さえ揃っていれば中の人の思想などどうでも良く、力仕事的に働けさえすれば村のために生かしておいて良い、そういう考えが続いていてそれがまだまだ根強いからとにかくひたすら他人に合わせる。そしておそらく都市生活者の思考的遺伝子の中にもそういう農耕民族的集団主義、いわば全体主義の楔のようなものが刺さっているからネット社会になった今でも個のアイデンティティよりも周りの雰囲気とかバイアスをあらゆることの判断基準にしてしまうのだと思っている。すさまじい自縄自縛の拡大再生産。