パルコはいかに時代を表現してきたのか。「『パルコを広告する』1969 - 2023 PARCO 広告展」で振り返る伝統と流行 https://bijutsutecho.com/magazine/news/promotion/28096
開催中〜12.4、渋谷PARCO。30年ほど前、当方が大学生だったころ、教養科目の社会学では日本社会の消費社会化を取り上げる際には1970年代以降におけるPARCOのCM戦略の変容が必ず取り上げられていたもの──そこでは(マクルーハンとかを参照しつつ)何かを売るための広告からイメージを売るための広告へという流れが強調される──ですが、しかしその当のCM自体(実店舗自体は心斎橋と大津にあったものの)関西ではほぼ見ないから、社会学ってエラい狭い東京中心主義でやっているんだなぁと思ったもので ともあれ、広告業界にあの時代のような全能感がなくなってひさしい現在から回顧したら、むしろ異様さが際立ちそうではあり
@awajiya 渋谷でも「売ってるものは平凡」というのは初めて知りました(そういう気配は、今の心斎橋でも若干感じられるところですが……)。そういう検証の機会も東京の人以外にはなかなかできなかったことも含めて、あのとき無批判にPARCOの広告戦略を持ち上げてた我が国の社会学ェ……となるところです
@wakalicht まぁむしろ,そうでなければ全国展開は出来ませんでしょうしなぁ(所沢PARCOも驚いたけど,大分PARCOにはもっと驚いた
@wakalicht 「平凡」というのを補足しますと,PARCO全盛期は,ファッション面では,パンク,ニューウェーヴ,ツートーンそのほかいろいろ百花繚乱日進月歩な時代で,ミーハーなハイティーンだった私も,そういうトレンドを追っかけるのに夢中だったわけですが,PARCOの商品立ては,もうぜんぜんそういう需要には応えていませんでした。そこんところはハッキリ「広告倒れ」でしたし,それを持ち上げてる美術界,なんかダメだなあと思っていました。
@wakalicht 思えば私,渋谷PARCO全盛期でも服や雑貨買うた記憶がありませぬ。館内のミュージアムもシアターも足を運んだこと無い。辛うじてカフェはよく待ち合わせに使いました。パブリシティに関しては70s末当時から評価は高かったですが,売ってるものは平凡で,光るものもなければ尖っても居ない。つまりは広告が空回りしてたってことになりますかのう。