この福田恆存のアフォリズムをそのままタイトルにした福田和也(1960〜)氏の近著があり(福田和也『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』(河出書房新社、2023))、発売当時──といっても半年ほど前の話なのですが──は著者近影における福田氏の激ヤセぶりが話題に(?)なっていたものですが、その福田氏が《毎日、とは言わないまでも日常に通う店、つまりは自分の生活スタイルを保持すること、そのために失われやすいものに対して、鋭敏に、かつ能動的に活動する精神を、保守と言う》(p128)という〈保守〉観を開陳したとき、そのソウルフードがもともと救荒作物としてあった蕎麦であるということは、〈保守〉が単なる思想や観念ではなく食(をめぐるエコノミー&エコロジー)でもあることを雄弁に語っているわけで。そこから語られる「NO WAR」には、戦後日本における平和主義とはまったくレベルの違うスゴみが存在すると言わなければならないでしょう。近年の左翼がアイデンティティ・ポリティクスにうつつをぬかしている中で欠落させていったのは、かかる位相にほかならない。