どんな改変があっても結局パキッとついったらんどから離れた人って少ないよね、私も含めて。
A24の見逃しから2本。「BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ」は全然いいと思わなかったんですよ。暗闇でネオンとスマホのライトだけというのが語りに全然活かされないし。脚本を読んでるみたいな映画の典型で、映画を見てる気分にならない。リッチキッズの感じ悪さやメンタルのあぶなっかしさを最初からそのまんま撮っちゃうせいで(ルーペニアンの原案どうだったんだろ)ミステリとしての仕掛けに想像がついてしまうのとか興ざめ~となってた。ただ、おそらくこれは今の20歳そこらだとアクチュアルな感覚なんだろうなと思う。「映画的な感覚」をもはや気にしてはいけないのかもしれない…自分が中年になったのを感じる。
一方、「Zola ゾラ」がやたら面白くてですね。撮影アリ・ウェグナーと音楽ミカ・レヴィという人選からわかるとおり「スタイル先行で撮るべき内容をひたすらスタイル先行で撮る」ができているので安心して見られた。2015年くらいの話なのでそのくらいの時期の感覚に忠実なとこも好き。「アフター・アワーズ」とか「眠れぬ夜のために」とかで美女と出会って悪夢に巻き込まれてたのは男だけど、それが現代で女になるとこういう語りになる、みたいな新鮮さも。そして圧巻のライリー・キーオのよくわからなさ。何だあれ?
ゴーストの解釈が違うので基本的に相容れない監督なんですが、こういうガワがついた企画だと良い塩梅だなあと思うわけです(転売ヤー設定周りがマジで適当すぎるのですが、あれはそれでいいんですよ!)バスの後ろの席からの何かが乗り出してくるのとかよくわからないとこから光が当たったり外れたりするのとか、「組織」とか、あと暴力と断片。意味がわからないままで最高にいい「何か」を見せてもらえた。やはり直前に著作読んでおいて大正解、何をしたい(している)人なのかの把握という補助線あるとグンと見方がわかってくるタイプの監督なのよね…機械!物理攻撃!謎廃墟!湖畔のおうちは血を吸うシリーズっぽかったな。見る前に勝手にしやがれシリーズ(あれくらい歩み寄ってくれてるのは事実)なんかな?と思ってたら、より遡って地獄の警備員まで戻るとこでも笑った。見といてよかった…
クラウドすごい面白かったけど、これを面白がってていいのか?とかも思った、2024年に!これですか!転売ヤーの話なのは実のないところから何かを無限増殖させている存在イメージだからだよね?例によって行動原理のかけらもない仕事も生活も雑描写ー!女の扱いー!しかしそれでいいのである、異界の話で、こう在るときめたらこう在るなので!という確信に満ちた語りでここまでいくと、もはや笑いにつながってくる。執拗なまでに出てくるはっきり顔を映さないショットとか、あと身体が遺体になる瞬間がいずれも「本気見せます」を感じて紛れもなく「映画」していて、そんなとこにも笑ってしまった。
一方で哀川翔ってすごかったんだなと思わずにいられない。今作の主要なキャラクターをひとりで全部やれるのが翔さんだったわけで…他におらんよなそんな人
いやまてよ。「初恋」が三池さんの縮小再生産どんとこい、ならこっちは拡大再生産というか無限繁殖型再生産というか、でどっちにも素晴らしい素晴らしい素晴らしい!と声をあげたくなるような窪田正孝が。ということは窪田正孝は最後のVシネ的なマインドを有するスター?いや実際そんな気がしてきたな(適当言ってます)
@spnminaco ぜひぜひー!設定からして怖いんですが、そこからの一筋縄でいかなさもすごいです!
@spnminaco オクテイヴィア・E・バトラー読まれてましたっけ?(ぎゃっとなるくらい面白かったやつというのでパッと思い浮かんだのがキンドレッドだった)
昨日みた「おひとりさま族」がなかなかよかったんですよ。主人公のジナさんは常に画面を見続けてる人で、それが正面から撮られてるとこがとても多い。カード会社のテレオペの仕事ではPC画面を見ながら無の顔で電話対応し続ける。家ではすぐテレビつける(途中からある映像を見るのも日課に)。移動中も食事中もスマホ画面から目を離さない。このモニターに映るものってある種の「ゴースト」なんですよね、向こう側にいる限りは直接かかわってこない、その距離がちょうどいい人もいる。煙草の煙がモニターのかわりをすることもある。
やがて彼女の暮らしが本来の意味でのゴースト話につながっていく。ゴーストは見たいものを見てしまう/見たくないものだから見えてしまう、そんな存在。
人と関わることを頑なに避けてるので後輩(子犬みたいについてくるんだけど当然「無」になることを知らない子にできる仕事ではなく…)にもそっけない、でもそれはかかわると「無」じゃなくなっちゃうからなのよね…
無表情の遮断って「怒り」なんだろな、と思う。ほっといてくれないのに人間をひとりぼっちにする社会への。無になることを求めるのに、ひとりでいさせてはくれない世の中に、繋がらないことで怒りを表明しているようなジナさん。だからこそ終盤の「浄化」がとてもよかったな…
身体とか仕事とか家のこととかの細部がなんかいい!の連続でね。皿を片付けるときの「おたまも?」みたいな小さい台詞まで、なんかいいんですよ。シャワーを浴びるたるみや傷のある皮膚とか美容院できれいにしてもらうとこもよかったなあ
すぐ試すようなことをしてた娘が彼女を本当の意味で信頼し始めるとこの一連美しかったなー、ふたりでメニューをのぞきこむときの一言も声に出されることのない「こういいことがしてみたかった」が手に取るように伝わる笑いとか、あれは親子関係の模倣というよりもシスターフッドともいえるし、恋人たちのようにもみえるし、母娘がどちらかわからなくなってる感じ
工場の女たちのひび割れた肘や迷いなく動く指先、木屑で真っ白になったのをエアスプレーみたいなのでわーっと吹き飛ばすのとかめっちゃいいシーン。すごいクローズアップでこっちを見ているような、しかし観客にも対話相手にもギリギリで正対しない視線。その場にいるかのような超クローズアップで次々に人物を画面に入れながらゆっくり横移動→回転していく(多くの人はこんなふうに近くから人を見ることはあまりないはずなんだが、なぜだか不思議な臨場感があるのよ)のが特徴の撮影はじっくり重厚、しかしウダウダしたとこがない「ある女の物語」はすごい勢いで進む、超機能美の世界なのも好き。
『アダプション/ある母と娘の記録』でメーサーロシュ・マールタを初めて見たけどこんな良いのか。リバイバルでの公開時に初めて名前を知ったのだが、こんな感じなのねー。子どもがほしい木工の中年女とティーン(年齢は明示されてないが未成年)で家を追われた不良娘が擬似的な親子関係を結ぶ、という物語だけでは到底表しきれない、人が生きていくということをじっと見つめて、見つめて、見つめる映画だ。他のメーサーロシュ(ハンガリーなのでこっちが苗字)の映画も見てみよう。かの(東欧映画界隈で)有名な撮影監督ヤンチョー・ミクローシュとパートナーだった時期もあるのね。
勝手がわからない