Netflixで見た『マーサ』、今のマーサ・スチュアートのドキュメンタリー(本人インタビュー中心)が面白くないはずがないのですが、監督が『ファッションが教えてくれること』(アナ・ウィンターのやつね)のR・J・カトラーということもあってそこそこ穏当な伝記におさまっている物足りなさはあったかなー
いや、これでも十分に底知れない(元気すぎる)人として映ってますが、やはりあの「私が太陽」のメディアモンスター性ってもっと一筋縄ではいかない気がして……でもそんな人に言いたくなさそうなことも語らせたのはそれだけの人間関係作れてたってことなんだろね。
perfectly perfectを追求する女、自己主張のめちゃくちゃ強い女(しかもやってるのが「感じがよい」存在であるべきと定義づけられてきた「主婦」「生活」ビジネスのカリスマだ)、しかもがっつり稼ぐイノベーターであり実業家であることは男性なら「辣腕」評価される部分で全部憎悪の対象になる……の筋を立ててあるの、真実ではあるとは思うし今ドキュメンタリーでやるならまあそこですよねという感じだ。でも引用されたジョーン・ディディオンのコラム(素晴らしい)では皮肉と賞賛が渾然一体になってるのがよかったけどそういうとこは薄まってた気がする
結構いいとこもあって全体的には楽しかった。関係者の声で語られてるところでの「母親世代が働きに出ていたので家のことを教えてもらう機会がなかった」世代から特に求められた、とか。「便利にする」「楽にする」ではなく「美しくする」価値観の新しさとか。あと収監前のカリカリした映像とかあったけど、あれは別のドキュメンタリークルーが入ってたのかな?それとも当時から関係者だったのかな?
モデル→主婦→カリスマ主婦、ルートからビジネス進出したのかなあと思ってたんだけど(初代「インフルエンサー」というコメントもあるのでそれでも半分は合ってる)実際のところ、モデル→主婦(子育てはあんまり楽しくない)→株式仲買人→主婦(家全部自分で改装して完璧にするの超楽しい)→ケータリングビジネス→メディア進出、というルートだったんでもともと動いてないと死ぬというか極端に「仕事が楽しい」タイプの人なんだな、そりゃアメリカ的「象徴」になる資質全開だわ……と思った。生活を美しく、の美しさのなかには当然「自分」も含まれる女のバイタリティ。変化への適応もすごいし、前ほどperfectを求めなくなったといいつつ終盤の表情にやっぱり自己完結度の高さも伺われるのだった