『エンドロールのつづき』が想像以上に面白かったので驚いた。事前にどうやらインド版ニューシネマパラダイス売り(するしかなかったのもわかる)の雰囲気とは違うらしいということは聞き及んでいたのだが、物理的に映画とは…というか「映画を上映する」とはどういうことなのかの話をずーっとしていて、むしろ情緒を隅っこに追いやりまくる。一応のストーリーラインは映画少年もののフォーマットに則っている(し、自伝ベースらしいし)のだが、興味はそこじゃないひとだね監督?

「映画になりたい」「いや映画を作りたい、だろそこは」という先生との会話があるのだが、あの子(監督)実際「映画になりたい」んだよな…作る側には画面を見つめる子だった人ももちろんいるとは思うのだが監督になるタイプでこういう最初から「映画とは何か」を射抜く目の子がいるのか…

根っからのDIY体質が冒頭で示され、最初から「映画とは光だ」と気づき、マッチ箱紙芝居で語ることはもともとやっていて、映写室で見たことでフレームに気づき、実験しては「回転」「運動」「音」とか映画の原理的なとこを次々に物理的に発見して実践しているのがどこまで実話ベースかはわからないし思い出の色フィルターはついてる、とは思うが結構リアルっぽいのでビビる。すげーよ

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淀長先生とか、あとハスミン氏の幼少期の記憶の話にもあったかな、映画の記憶より前から「既に光がかたちを映すことに気づいていて魅せられてた」(後付け記憶だとしても原体験であることは間違いないだろうし、少なくともそれを自身のナラティブにする姿勢があるということではある)というタイプの人、どこの国にもいるんだな…いや当たり前といえば当たり前なんだが、自分とは遠すぎてだな…

だいたいサマイくんの名前の意味「時間」だよ!光を集めて語る「時間」の話!シネがフィルってると言いたくもなるわよ

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