しかしよく似た2作だな…全然違う話なのに主人公のあり方がすごくよく似ている。最初の映画と最新の映画がこうも共通しているの面白いね。
血まみれの顔と鏡、が反復されるグリーンフィッシュはおかあさんが質問に答えないとことか、柳のガサガサ…の音が凄いのとか、終盤のシークエンスがゴーストだ……となるとことか好き。
バーニングは序盤のたばこの灰をカップに捨てるときに唾をはくのとか、家のモノの数の対比とか、ごはん食べてるとハエがくるところ(牛小屋があるところだと当然そうでなくてはいけない、そういう態度で作るかどうかは作風を決める)とか、色々好きなとこはあったし、音楽の使い方もすごく面白かった。フォークナーを「自分の話だと思う」人間の話というのは原作どおりなんだろうか。原作にはない種類の批評性が生まれていた気がする。ビニールが溶ける感じも官能的でよかった。
ただなー。どっちも女の人は謎めいていて、かわいそうな目にあうために存在している感が強い気がする。それが現実だとしても、ちょっと気持ち悪いんですよね…これはポエトリーや密陽が苦手、というより「嫌い」と思ってしまう理由でもあって。でもペパーミント・キャンディーだけは(やはりイノセンスの象徴としての女が死ぬ話なのに)大丈夫だったんだよなー。どこが違うんだろうなー