ポリコレが今みたいに特定の層が目の敵にする相手を揶揄する言語になる前からずっと、意識低い系に偽装して、いたって真面目に(時代の限界はあれど)「みんな」のコメディをやる、がファレリー兄弟案件だと思ってるので『俺らのマブダチ リッキー・スタニッキー』のしょうもなさ(今の私はギャグがこの路線のやつってメインキャラが男子でも女子でも苦手なんで)の向こうに割と本気でアメリカは大事なこと忘れちゃあかんよ、の真顔を見た気がして、ちょっとグッときちゃったな。representationは社会的な要請と関係なく既にそこにあるものってだけなんだから何を今更、というね。
世の中にはいろんな人がいるに決まってる。失敗してダメダメなことだってたくさんある。でもさー、みんなで幸せになろうや!フリでもいいから良い奴であろうや!という。