『夜明けのすべて』はファーストシーン、雨の路上、バス停にリクルートスーツの女の子がひとり座って、バスに乗り込むこともなく、後ろを向いて座り込んでいる。饒舌すぎるほど饒舌なモノローグ中、顔の表情はほぼ映らない。ただ、そこには背中の表情がある。誰も寄せ付けない。投げないの、という警察の人の言葉が胸をさす。そうしたいわけじゃない、でもそうせずにいられない心身が痛いほどに伝わっているから。もうこの時点で「ああ、信頼されてるな」と思った。映画に信頼されているのは心地いい。

モノローグからダイアローグへ、やがて周りに語りかける声へ、そしてふたたびモノローグへ。優れた脚本構成に見事な音設計と画面の設計が乗って、信頼メーター上昇が加速する。まあこれもゴースト映画だしね!(またなんでもゴーストっていう)

前にも書いたことあるけど、わたしはやさしさとは「よくみる力」に裏付けられるものだと思っていて、この映画の人たちはみんな見る/知ることに救われてるとこがいいなあと思った。この映画の言葉少なな見守りあいと私の「やさしさ」の解釈が一致した、気がする。

藤沢さんのそうしたやさしさがある種のずうずうしさによって行動に紐付けられるのも誠実だと思った。線路沿いでみかんを食べながら歩く女子だからできることがあるよなー。

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この題材で技術的に拙かったらどんなに志高くても私は無理なものになっていたと思うので、やはりやさしくあるには知恵と技術しかないよな…と思うのだった

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