今日は結局出かけられなかったのでおうちで『ペイン・アンド・グローリー』見てたんですけど、アルモドバルで初めての素直に好きなやつでした…私はどうでもよくなってた人がどうでもよくなくなる話が大好きなんだよ。色彩とか俳優とか断片では好きだけど全体的には?となりがちな監督がメロドラマ性はメロドラマ性として残しつつも自分たち(自分だけでないの)に優しくあろうとする話を撮ってたのね…すごいしみじみしちゃった、良かったです。
まだまだやれる、みたいな気概の話でもなくて、なんとかかんとかでもやっていきたい、って話なのがいいのだ…年取っていくこれからの自分には「どうでもよくならない」ことしかないと思ってるので、やっぱりお金と名前とそれで買える健康ー!とか意地悪なことを言ってしまいそうなところをやんわり制されて「私も…生活を…やっていく…」って素直に真面目に思ったし、いつものお母さん大好き映画としても欲望とロマンスの話としても、最もいたわり愛の話になっていた気がする
自己投影先がアントニオ・バンデラスになるあたりのロマンティサイズというか美化のあり方もこの作りなら当然ありなのです、原風景としての水と歌のイメージもとても素敵
冷蔵庫の大量のマグネット?とかキャビネット?の大量のちょうちょ(ステッカー?)とかなんか本筋に関係ない好きなとこがたくさんあるんだけど、本筋に関係あるとこでいちばん好きなの、床に膝をつくとき必ずクッションを入れるとこだったな…痛いもんね…
あと自分に電話してる人を向こうに気づかれずに見る窓辺シーン、なんてとろんとろんな視線で見てるのがわかる撮り方なのかしらねってこっちまで嬉しくなっちゃった。全体に可愛げの塊みたいな映画なんだよな。でもその可愛げは死を想い喪失を想うからこそ立ち現れてくるもので