『アトランティス』を見ていました。この種の「フィックス長回しー!」を全面主張してくる劇伴つけたら罰金映画って基本的には全然好みではないんだが「2025年の戦後」映画としてこんな切実な(これから起こりうることが最善の展開であったとしてもなお、ここに描かれることにつながってしまう)祈念の話を2023年に見るとどうしたってつら…となるわね…
序盤はんー…となっていたが、あの遺体の状態が延々と説明されるあたりからはその動かない画にもああ、そういうことなのか、とわかってきて画面をじっと見続けることができた。
自由化された社会ではアメリカ資本が入って工場が閉鎖されるとか、単に廃墟となっただけでなく土壌汚染と残った地雷で物理的に人の住める場所ではない状態の場所で「兵士たちの生を終わらせる」作業に勤しむ人が、それでもなお離れない場所としてのドンバス…鎮魂作業というよりも作業によってかろうじて人間のかたちを保つ放り出された人たちの孤独。でも、生きてる。ここにいる。ここしかないから。
それが実際に「現場」にいた人によって演じられていたと知れば、その重みはなおのこと深く理解できる。
謎のお風呂シーン、あれはなんか実際にやった人がいないと出てこないシーンな気がしたんだが、どうなんだろね?