ウーマントーキングは均質性の中の非均質の話なので(たぶん原作由来だがホワイトフェミニズムという意見もあるみたい。ただこれ白人女性たちだけの話に置き換えたの、非白人も含めた場所あるいは非白人のみの物語で描いてしまうと「意味」が多くなりすぎる気がしたので正解だったんではと感じたよ、私は)そういうとこも好きだったんだと思う。20年くらい言ってる「わたしはあなたではなく、あなたはわたしではない」。そのうえで「わたしたち」になるとはどういうことか。いくつかのショットの白い光と無人の部屋、テーブルはハマスホイみたいだった。ワイエスショットもあった。地平線は真ん中じゃなかった。

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よかったシーン、というか画面設計のこととか 

女たちは常に納屋の暗がりにいて外から入る光にかろうじて互いをみている。さんさんと輝く太陽はこどもたちと馬だけのもの。終盤、みんなが日のもとに出て、ルーニー・マーラが納屋を見あげる。入り口の部分、額縁で切り抜かれたようにベン・ウィショーのまわりは真っ暗い、というかスミベタの黒。あんな残酷な暗闇の背負わせ方するのかと震えた。ここまでど直球にやさしく(優しく/易しく)女性映画をやっても、やはり端々が容赦ないのよこの人は…

クレア・フォイ演じるサロメに「説得によらない方法」をとらせ、暴力装置を手渡すところまでやる。このシビアさも原作由来なのかなと思いつつも、口当たりをよくしないのは絶対サラさんの性格だと確信している。「今」に乗ってるんではなく、それこそ10代から行動してきたガチな人ですからね…骨の硬さが違う感。

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