「ルカ福音書のにはマタイと違いイエスの系図は出てこない」と書きましたが、説明不足の表現だったので下記のように訂正しました。
「一方、ルカ福音書のクリスマスにはクソ長い系図も、東方の三博士も乳香、没薬、黄金も登場しません(系図は第3章でイエスの公生涯の始まりにマタイと違う形で出てくる)。」
伝えたかったのは、マタイのように系図を使いクリスマスを王者誕生物語とルカはしていない、ということです。
訂正の上、説明不足をおわびします。
マタイとルカには共に系図がありますが、その位置と内容は異なっています。
マタイは冒頭に配置し、系図の始まりを「アブラハムの子ダヴィデの子の」とユダヤ民族の始祖アブラハムにしています。
一方、ルカは系図をイエスが洗礼を受けるシーンに配置し、系図の始まりをユダヤ民族の始祖アブラハムを突っ切り、アダムから神までさかのぼります。
これは顕著な違いです。
QT: https://fedibird.com/@utan/113642343540852415 [参照]
ノキさんがアドカレ記事で拙文を紹介してくださいました。ありがとうございます。
「知にとって不要なものなどない」と豪語したいところですが、利潤動機に突き動かされた社会では利潤を生まない研究や分野は軽視されるのが現状です。
特に人文知は「ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ」とヘーゲルが『法の哲学』で述べたように、ミネルバの梟(知の象徴)は黄昏(すでに物事が起き、結果が出そろい始めてから)にその出来事の意味を分析し、研究の体系をまとめ始める性質があります。
現在のようにタイパが求められる情勢では、あまりにも鈍重かつ遅足でしょう。
しかし、ノキさんが主張されるように、万人に開かれた学知を権力批判を通して構築しておくことは、権力や利潤が暴走したとき(常に暴走状態にありますが)、その対決軸を作るにあたって必要不可欠。
そんな「知的な社会的誠実さとは何か」をアカデミアという知の現場の研究者から考察したノキさんのアドカレ、ぜひご一読ください。
Fediverseアドベントカレンダー( https://adventar.org/calendars/10051 )13日目の記事を公開しました。
Fediverseにやってきて1年5ヶ月、初めてアドカレに参加できてうれしかったです。
信者側から見たキリスト教のアドベント(待降節)の精神的な意味を紹介し、その上でFediverseのアドベントとクリスマスの意味を考えてみました。
🐑🐑🐑羊飼いが出てきます🐑🐑🐑
ご笑覧ください〜。
https://oryzivora.page/二つのクリスマス-750d0b08d274?gi=705df5f6d027
つねづね「推し活」は宗教と類似しているどころか、宗教現象そのものであると感じてきた。
その観点からの指摘が出てきて、やはりそう思うよな、と納得するなどしている。
このテキストでは訳者の柳澤さんが、推し活と宗教との同一点を強調している。
一般的に、精神科医や支援者が信頼できるかどうかはバイスティックの7原則を最低限遵守しているかどうがをみると良いです。
これは福祉などの基本的スタンスで、まともな支援者なら一度は教えられるもの。
これからの逸脱があると、危険信号と理解して良いでしょう。
あなたの奢りで救われる があります——
他社の忘年会、私の席は空いていますか——
うえの流行語大賞2024
1位 #親の顔より見た赤色灯
2位 ブリュブリュブリュリュリュブリュリュ
3位 明日は月曜日
事務職をしながら本を読んだりオンライン読書会を開催したり
大学時代の専攻は哲学。
現在の関心は多元論や宗教思想における他律/自律概念、ウィリアム・ジェイムズのプラグマティズムなど。
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