「雪華」のHPを更新しました。今月の巻頭句は《雪晴風(ゆきはらし)天よつかまるものがない 村一草》雪晴風は吹雪のあとの晴天に吹く強風。吹雪を耐えてきた身には、待っていた晴天の澄明も寄る辺なさを感じさせるものなのか。
散文置き場には、小田島渚「羽化の街」評(五十嵐秀彦)、恩田侑布子「はだかむし」評(鈴木牛後)を掲載しています。
私も支援しました。
送れる場所増えてるよ〜〜
そして20日経っても一向に足りていないようです…………………………
#能登の障害者に届け
https://todoke.jp/
俳句の当事者性について
俳句の当事者性は難しい問題といつも思う。震災詠はもちろんだが、都会の人が農業の現場を見て詠んだ俳句などにも実は少し抵抗がある。自分が農家だったから、領域を侵されたように感じるからだろうが、無意識の上から目線のようなものを感じてしまう。
もちろんそんなつもりがないのは承知しているが、たとえば沢木欣一の塩田の句などは、都会のインテリの沢木が厳しい労働現場を見て詠むという行為自体が、ある種の勾配をもっているというのは否めないと思う。その点で、佐藤鬼房のような、自分が労働者である立場とは違う。
今まで自分が農家であるという立場をとても重要視してきたが、農家でなくなって、どうしたらいいか迷っている部分は正直ある。このあたりは、震災詠とはあまり関係ない話で、震災詠のことは別に考えていかなければならないが。
今年は引っ越しのインパクトが強すぎて、他には何もしていないような気がしていましたが、2月に北海道立文学館の特別展「細谷源二と齋藤玄」展の関連イベントとして行われた、五十嵐秀彦さん、瀬戸優理子さんとの鼎談に出たのでした。あと、その展示の図録に論考を寄稿したこと。あといくつかの雑誌に文章も書きました。
俳句作品の依頼はひとつもなかったなあ。原稿依頼はあってもいいのですが、なくてものんびりできるので、それもまたいいと思っています。
「雪華」のHPを更新しました。1月号の巻頭は《犬釘の並ぶ冬日を跨ぎけり 五十嵐秀彦》学生時代、一日に2本しか列車のない深名線の線路を歩いたことを思い出しました。次の駅まで歩けば昼の列車に乗れるから、という理由だったが、途中のトンネルが怖くて引き返したのですが。
時刻表にないとはいえ、回送列車などとトンネル内で行き会うのは恐ろしいことなので。
深名線には線路沿いに道路がなかったので、バスもなく、結局夕方まで駅でずっと待っていました。
散文置き場には、五十嵐秀彦による、鈴木総史『雨の予感』(星野立子新人賞受賞作)評と、私が書いた小津夜景「花と夜盗」評を掲載しています。https://yukihana-haiku.com
本来は鍵マークがついている投稿はフォロワーしか見られないようになっているみたいなんだけど、どういうことなのかよくわからない。
「首」の二次俳句、いいと思う。この人、鍵マークが付いてるけど、ポストが読めるのはどうしてなんだろう?
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)。俳句のことなど。ブログ「本日も深雪晴」https://miyukibare.exblog.jp/