読点の打ち方は人それぞれで、特に決まりみたいなものはないのでしょうがが、私は多めに打つ方。2行くらい読点なしで文章を書く人も珍しくありませんが、読む方はずっと休みなく文字を追わされているような感覚になって、ひどく疲れるのです。
でもそうは思わないから、読点を打たないのでしょうね。読むときには自分で適当に区切りながら読むということで。これは私の癖なのかもしれませんが、どうしてもそのように読めないのです。
これも愚痴か。愚痴を書いてもいいところと思えば気楽。
結社誌の校正中。私の担当のページ、本来は2ページなのだが、今回は3ページでお願いしますと言って送ったのに、ぎちぎちに2ページに詰め込んである。
うちの結社は経営が厳しくて、主宰が自費で赤字を補填しているので、ページ数の節減は仕方がないこと。でもこれではたぶん、かなりの人が読むのを諦めるような気がするなあ。
事前に相談せずに長くした私がよくなかったので、単なる愚痴ですが。
このイスラエル/パレスチナ問題の資料4枚にキチキチに情報詰まっててよかった。シオニズム運動の広がりを起点とした歴史の整理。選挙で勝ったハマスへの国際援助が停止され、封鎖されたガザから物資を奪い、さらに度重なる攻撃によって生活基盤ごと破壊してきた経緯が解説されてる。年表もありがたい
https://twitter.com/p_sabbar/status/1736063805350871129?s=46&t=RC-lfPynCykmllp8TwpH3A
俳句とルビ
先日、投句を夏雲システムで行った句会で、「これはルビを振らなくてもみんな読めるんじゃないですか?」と言われたのだが、「そうかもしれないけど、振ってもいいでしょ?」と思う。読むときにじゃまにはならないと思うんだけど、どうなんだろう? 短時間で選句しないとならないから、多めに振っておいた方がいいと私は思う。
句集も、できるだけルビがあった方がいいのではないかと最近は思っている。辞書をひけばいいと言う人もいるが、辞書の引き方にも修練が必要で、誰にでもそのスキルがあるわけではないから。私の句集は俳句をしない農家の人もたくさん買ってくれたので、おそらく読むのをあきらめた人もいるんじゃないかな。
俳人はみんなインテリだから、読めるのが当然と思っているかもしれないが、それはちょっと傲慢かも。
川原真理子さんの句集「ひかり秘めたる」より3句。書けば読んでくれる人もいるようなので、少しずつ書こうかな、と思っている。https://miyukibare.exblog.jp/242010016/
「雪華」のHPを更新しました。今月の巻頭句は《黒葡萄昼間を仮の星として 鈴木総史》橋本主宰は選評で「わかりやすい句ばかり選句するのは素人俳人でもできる。書きづらいからこそ句評・鑑賞を書きたくなる。なぜなら私は貧困ではあるが職業俳人だから」と。
散文置き場には、越智友亮「ふつうの未来」評(五十嵐秀彦)、岸本尚毅「雲は友」評(鈴木牛後)を掲載しています。
https://yukihana-haiku.com
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)。俳句のことなど。ブログ「本日も深雪晴」https://miyukibare.exblog.jp/