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さっきエゴサーチしてみたら、ここに書いたこともグーグルに拾われるのね。知らなかった。

北海道の友人が送ってくれた酪農雑誌の記事。ある酪農家の女性が、私の句集に救われたという話が載っていた。私の俳句にそれほどの何かがあるとはとても思えなくて、不思議な感覚。岡林信康が、歌はぼくのうんこだ。うんこを拾ってくれる人がいるなんて、こんな不思議なことはない(不正確)と言っていたことを思いだした。

さいきん、お酒を飲むと視野が暗くなってしまう。いつだったかは立っていられなくなって、その場に座り込んでしまった。これは、アルコールを分解するのに血流を取られて、脳に行かなくなるためらしい。ふだんから血圧が100あるかないかだから、すぐに足りなくなるんだと思う。できることは何もないけど、まあ気を付けよう。

それにしても、ナショナリズムに対して無防備すぎると思います。「終戦日」などの季語で、あれだけ反戦を詠んでいるのに。過去の話だけではないはず。

メールを送ったのはこの件ではなくて別件でした。ツイッターには書いたはずですが。失礼しました。

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俳句とナショナリズムの話。改元のときに現代俳句協会で俳句を募集していたのには驚いた。何のためらいもない「奉祝」。協会の中から反対意見は出なかったのかなあ。あのとき協会にメールを送ったんだけど、ご意見は承りました、みたいな感じだったような…。

引っ越ししてから初めて歯医者に行ってきた。スーパーの中にある歯医者だけど、入ってみたらとても広いのでびっくり。治療方針をはっきりと説明して同意を求めてくれるのがとてもいい。憂鬱な歯医者だけど、楽しく?通えそう。

住みにくくなるような話ばっかり。外国人だけの問題じゃなくて。

鈴木牛後 さんがブースト

やばいなこれ

税や保険料を納めない永住者、許可の取り消しも 政府が法改正を検討:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASS2544Z5S21UTIL01R.html

「雪華」のHPを更新しました。今月の巻頭句は《雪晴風(ゆきはらし)天よつかまるものがない 村一草》雪晴風は吹雪のあとの晴天に吹く強風。吹雪を耐えてきた身には、待っていた晴天の澄明も寄る辺なさを感じさせるものなのか。

散文置き場には、小田島渚「羽化の街」評(五十嵐秀彦)、恩田侑布子「はだかむし」評(鈴木牛後)を掲載しています。

yukihana-haiku.com

標語のような俳句とか、通俗的な思いの表白とか、そういう俳句が句会で点を集めることはよくあって、それが句会というシステムの難しいところだと思う。参加者にそれが良い俳句だと認識されてしまうし、点数がほしいとどうしてもそっちに寄っていってしまう。自分が本当に信頼する人とだけ句会をすればいいのだが、そいういうわけにもいかないし。難しい。

原稿を書いた。依頼文書を改めてみてみると、書いたものは依頼された趣旨とは少し違うような…。でもまあ、たぶんOKでしょう。

北海道のかなり前の俳句のことを書いた。北海道を離れても、長年住んだ北海道からはなかなか意識は離れないということ。でも、今年は暖冬だったこともあって、あまりの冬の違いに、北海道の遠さを感じてもいる。

今日は調べ物で俳句文学館へ行ってきた。俳句文学館には何でもある、というわけではないのね。それでも目的のものの大半は収蔵してあって、それらは多くの人の寄贈で成り立っていることを知った。

俳句文学館のスタッフって、賃金が発生しているのだろうか?事務所の経費は? どうやって運営しているのか、部外者から見ると不思議ではある。ありがたいことだが。

原稿をひとつ書いた。前の住所に送られてから転送されてきたので、締切まで6日しかなかったが(それにしても短いのはなぜ?)、何とかできた。

今回の原稿は、おそらくかなり有名な人も含めて多くの人が寄稿する本なので、比較されると見劣りするだろうが、まあ、それはそれ。自分しか書けないことが少しでも書ければそれでいい。

今日は多気比売(たけひめ)神社へ行ってきた。武蔵国最古の神社と言われているらしい。古いものが好きなので、神社へ行けば賽銭なども入れるのだが、どこかで日本会議などとつながっているのではないかと思うと、せっかくの気分が台無しになる。罪深いなあ、日本会議。

鈴木牛後 さんがブースト

送れる場所増えてるよ〜〜
そして20日経っても一向に足りていないようです…………………………

todoke.jp/

今日は、ある人の案内で明治神宮へ行ってきた(東京歴史案内、みたいなもの)。その人は、そこに掲げられている明治天皇の御製について、俳人とちがって言葉をこねくりまわしてないから、とても素直に読める、と言っていた。

もちろん私が俳人だということは知らないで言っているのだが、世間では俳人というのはこういうイメージなのね、と改めて感じた次第。

KADOKAWAの件、売れれば何でもOKなのか、それとももともとそういう思想の人が編集者をやっているのか。どっちにしても、大手がこれでは出版の未来はますます怪しい。

数年前、「藍生」で黒田先生から「今年の抱負」を書いてほしいと言われて書いたことがある。てっきり、10人かそれ以上の会員がそれぞれの抱負を書くのだろうと思って、「先生と呼ばれたくない」という内容の文章を書いた。

発行されて見てみたら、抱負は私ひとりに依頼されたもので(角川俳句賞か北海道新聞俳句賞の翌年だったと思う)、空気を読まない文章だったなと苦笑いとともに思い出す。でも抱負などそれくらいでちょうどいいのではないかな。

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