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メールを送ったのはこの件ではなくて別件でした。ツイッターには書いたはずですが。失礼しました。

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俳句とナショナリズムの話。改元のときに現代俳句協会で俳句を募集していたのには驚いた。何のためらいもない「奉祝」。協会の中から反対意見は出なかったのかなあ。あのとき協会にメールを送ったんだけど、ご意見は承りました、みたいな感じだったような…。

引っ越ししてから初めて歯医者に行ってきた。スーパーの中にある歯医者だけど、入ってみたらとても広いのでびっくり。治療方針をはっきりと説明して同意を求めてくれるのがとてもいい。憂鬱な歯医者だけど、楽しく?通えそう。

住みにくくなるような話ばっかり。外国人だけの問題じゃなくて。

鈴木牛後 さんがブースト

やばいなこれ

税や保険料を納めない永住者、許可の取り消しも 政府が法改正を検討:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASS2544Z5S21UTIL01R.html

「雪華」のHPを更新しました。今月の巻頭句は《雪晴風(ゆきはらし)天よつかまるものがない 村一草》雪晴風は吹雪のあとの晴天に吹く強風。吹雪を耐えてきた身には、待っていた晴天の澄明も寄る辺なさを感じさせるものなのか。

散文置き場には、小田島渚「羽化の街」評(五十嵐秀彦)、恩田侑布子「はだかむし」評(鈴木牛後)を掲載しています。

yukihana-haiku.com

標語のような俳句とか、通俗的な思いの表白とか、そういう俳句が句会で点を集めることはよくあって、それが句会というシステムの難しいところだと思う。参加者にそれが良い俳句だと認識されてしまうし、点数がほしいとどうしてもそっちに寄っていってしまう。自分が本当に信頼する人とだけ句会をすればいいのだが、そいういうわけにもいかないし。難しい。

原稿を書いた。依頼文書を改めてみてみると、書いたものは依頼された趣旨とは少し違うような…。でもまあ、たぶんOKでしょう。

北海道のかなり前の俳句のことを書いた。北海道を離れても、長年住んだ北海道からはなかなか意識は離れないということ。でも、今年は暖冬だったこともあって、あまりの冬の違いに、北海道の遠さを感じてもいる。

おつかれさまでした。口語俳句は奥の深さを改めて感じました。

今日は調べ物で俳句文学館へ行ってきた。俳句文学館には何でもある、というわけではないのね。それでも目的のものの大半は収蔵してあって、それらは多くの人の寄贈で成り立っていることを知った。

俳句文学館のスタッフって、賃金が発生しているのだろうか?事務所の経費は? どうやって運営しているのか、部外者から見ると不思議ではある。ありがたいことだが。

原稿をひとつ書いた。前の住所に送られてから転送されてきたので、締切まで6日しかなかったが(それにしても短いのはなぜ?)、何とかできた。

今回の原稿は、おそらくかなり有名な人も含めて多くの人が寄稿する本なので、比較されると見劣りするだろうが、まあ、それはそれ。自分しか書けないことが少しでも書ければそれでいい。

今日は多気比売(たけひめ)神社へ行ってきた。武蔵国最古の神社と言われているらしい。古いものが好きなので、神社へ行けば賽銭なども入れるのだが、どこかで日本会議などとつながっているのではないかと思うと、せっかくの気分が台無しになる。罪深いなあ、日本会議。

鈴木牛後 さんがブースト

送れる場所増えてるよ〜〜
そして20日経っても一向に足りていないようです…………………………

todoke.jp/

今日は、ある人の案内で明治神宮へ行ってきた(東京歴史案内、みたいなもの)。その人は、そこに掲げられている明治天皇の御製について、俳人とちがって言葉をこねくりまわしてないから、とても素直に読める、と言っていた。

もちろん私が俳人だということは知らないで言っているのだが、世間では俳人というのはこういうイメージなのね、と改めて感じた次第。

KADOKAWAの件、売れれば何でもOKなのか、それとももともとそういう思想の人が編集者をやっているのか。どっちにしても、大手がこれでは出版の未来はますます怪しい。

数年前、「藍生」で黒田先生から「今年の抱負」を書いてほしいと言われて書いたことがある。てっきり、10人かそれ以上の会員がそれぞれの抱負を書くのだろうと思って、「先生と呼ばれたくない」という内容の文章を書いた。

発行されて見てみたら、抱負は私ひとりに依頼されたもので(角川俳句賞か北海道新聞俳句賞の翌年だったと思う)、空気を読まない文章だったなと苦笑いとともに思い出す。でも抱負などそれくらいでちょうどいいのではないかな。

高尾山へ行ってきた。ずっと舗装してあるので山登りというほどでもなかったが、ずっと登ってなかったので足慣らしということで。山頂からはきれいに富士山が見えた。東京都内からこんなによく見えるとは。

自選十句を選んでほしいという依頼があって、自分の句集をパラパラとめくってみたのだが、どれが良いのかもうわからなくなっている。それほどこだわりはないので、他選でも同じことという気がして、そうしてもらおうと思う。俳句の良し悪しは自分が決めることではないのだし。

俳句の当事者性について 

俳句の当事者性は難しい問題といつも思う。震災詠はもちろんだが、都会の人が農業の現場を見て詠んだ俳句などにも実は少し抵抗がある。自分が農家だったから、領域を侵されたように感じるからだろうが、無意識の上から目線のようなものを感じてしまう。

もちろんそんなつもりがないのは承知しているが、たとえば沢木欣一の塩田の句などは、都会のインテリの沢木が厳しい労働現場を見て詠むという行為自体が、ある種の勾配をもっているというのは否めないと思う。その点で、佐藤鬼房のような、自分が労働者である立場とは違う。

今まで自分が農家であるという立場をとても重要視してきたが、農家でなくなって、どうしたらいいか迷っている部分は正直ある。このあたりは、震災詠とはあまり関係ない話で、震災詠のことは別に考えていかなければならないが。

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