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街外れにいくと烏瓜がよく目に付く。北海道にはなかったので、これが烏瓜かとちょっと感動した。歳時記に載っている植物の、おそらく半分くらいは北海道(特に北部)にはなかったので、いろいろと目新しい(梅も金木犀も曼殊沙華もなかった)。

俳句を読む上で、植物の季語はわりと適当につけられている場合も多いのだろうが、それでもその植物を知っているのと知らないのとでは、読みの妥当性が変わってくると思う。俳句を作るだけなら、北海道にいた方がよかったかもしれないが、読んで楽しむことを考えれば、こちらへ来てよかった。

今日は引っ越し前の俳句仲間とのオンライン句会だった。他のメンバー(5人)は会議室で横に並んで画面に映るようにして、私ひとりがオンラインという形式でやっている。前回は向こうはパソコンだけだったので、声が遠くて途切れてしまったりしていたが、今回はマイクを買ったということで、とてもスムーズだった。機材を整えるということは、ストレスなく話をする上でとても大事。

「雪華」のHPを更新しました。今月の巻頭句は《黒葡萄昼間を仮の星として 鈴木総史》橋本主宰は選評で「わかりやすい句ばかり選句するのは素人俳人でもできる。書きづらいからこそ句評・鑑賞を書きたくなる。なぜなら私は貧困ではあるが職業俳人だから」と。

散文置き場には、越智友亮「ふつうの未来」評(五十嵐秀彦)、岸本尚毅「雲は友」評(鈴木牛後)を掲載しています。
yukihana-haiku.com

KADOKAWAが刊行予定だった例の本が中止になってよかった。関連会社から句集を出している身なのでなおさら。でもこの件でかなり信用を落としてしまったので(オリンピックの件もあったし)、角川から句集や歌集を出そうという人は減るのではないかな。角川学芸出版がなくなってしまうのは、それはそれでよくないことなのだが。

このところ、ときどきブログを更新して、俳句の鑑賞を書いている。俳句の鑑賞を書くことはそれほど難しくはないが(出来不出来は別として)、批評を書くのは難しい。

鑑賞はその句が良いと思ったというのが前提だが、批評はそうではないと思うから。何かを指摘するためには、それ相応のものがこちらになければならず、そんなものがあるのかと言われれば立ち往生してしまう。そんなこと言っても仕方がないので、できることから。

今日は、桶川航空学校平和祈念館に行ってきた。特攻で死んだ人の遺書が展示されていて、読むとやるせない思いしかしない。「皇国のために立派に死んできます」みたいなことが書いてあるけど、じっさいには全くの無駄死にだったわけだから。

無駄死にというのが、あまりにもかわいそうということから、特攻を美化して、それが歴史修正主義のようなものにつながっていったりするのだろう。そこまではわからないでもない。

でも今は、それを利用して自分に都合のいい世の中にしようとする人が多いから、やっぱり愛国心などというものは警戒しすぎるくらいでちょうどいいと思う。

引っ越しをした理由について、経営が破綻してやむなく…と思われているフシがあるみたい(そのような内容のメールなどをもらったことがある)。

じっさい、現在はたいへんな不況で、継続していてもたぶん利益は出なかったと思うが、廃業を決めたときはまだ少しは景気がよくて、もったいないねえ、などと言われたくらい。

経営不振での廃業だったら、境涯俳句みたいなのを作るにはよかったのかもしれないが、いずれにしてもそのような俳句は作りたくない。

私の俳句は私小説的に受け取られているのかもしれないが、そういうつもりではないんだけどねえ。

初めての吟行句会、緊張感があって楽しかった。対象そのものを楽しめないという憾みはあるものの、それもよし、これもよし、という感じかな。俳句を得るチャンネルはいろいろと持っていていい。これも今までの感覚とはちがうところかも。

今度の日曜日に、誘われて吟行句会に行くことになった。
割と長く俳句をやっているが、吟行句会は初体験。作れそうな気がまったくしない。

今まで吟行をしたことがないわけではないが、いつも自分ひとりなので、作っても作らなくてもよかった。何がなんでも作らなければならないとなると、どうなんだろう?それは行ってのお楽しみ、かな。

自転車にも慣れてきて、少しずつ遠いところまで行っている。自転車に乗るようになって思うのは、自動車の威圧感。運転している人には、そんなつもりはないのだろうが、圧倒的な力の差に飲み込まれそうになる。

人と人との関係にもそういうことがあるのだろうと思う。立場が上の人はふつうだと思っていても、弱いものは実は怯えていることが。

自転車も歩行者に比べたら暴力的な部分があるので、気をつけて乗ります。

オンラインが発達した現代にあっても、「土地」においてつながっているという感覚は重要だと思った。「地に足がついている」という慣用句があるが、そんな感じ。故郷から切り離された(特に外部の要因によって)人が持つ疎外感を、少しだけわかったような気がした。自分の意思で故郷を出ても、それ相応の感慨があるのだから。

今日は、前に北海道でやっていた句会にオンラインで参加した。他のメンバーは公民館に集まって、ぼくだけがオンライン参加。みながオンラインだとそれはそれで満足できるのだが、ひとりだけオンラインだと、やっぱりどこか疎外された感覚は残ってしまう。慣れなのかもしれないが。雑談も思うようにはいかないし。句会には雑談も重要な要素なのだと、改めて感じる。難しいね。

自転車を受け取ってきた。さっそく乗ってみたが、数十年ぶりの自転車は怖い! 出だしからふらつくし、まっすぐに走れなくて、どうなることかと思ったが、慣れたらまあまあ走れるようにはなった。  

ただ、車のたくさん走っている道路はまだ怖い。後ろを見られないのは落ち着かないので、まずバックミラーを買う。

鈴木牛後 さんがブースト

今日は数年ぶりに散髪へ行ってきた。髪の毛の手入れなどは面倒で嫌いなので、いつもは自分でバリカンで刈っていたので(牛舎で)。でももう牛舎もないし、部屋でやるのもどうかと思い、近所のスーパーの中の散髪屋さんへ。もちろん丸刈りで。とてもさっぱりした。

今日は自転車を買いに行った。クロスバイクと呼ばれているもので、ママチャリとスポーツ用の自転車の中間くらいのもの。乗ってみたら、あまりにサドルが硬くて、耐えられそうになかったので、やわらかいものにしてもらうことにした。納品は1週間後。自転車に乗るのはかなり久しぶりなので、かなり楽しみ。

せっかく行ける環境になったのだから、明日は文学フリマへ行こうと思っていたが、片付けが終わらないので今回は見送りに。

前に住んでいたところは、体に感じる地震は、三十年で2、3回(しかも弱い)しかなかったが、こちらではそうはいかないことに気づいた。本棚に転倒防止対策をしないと。

引っ越しの片付けをぼちぼちとやっている。なんでこんな本を持ってきたのか、と思う本もたくさんあるけど、限られた時間で決められなかったので仕方ない。代わりに家人がどんどん日用品を捨てたので、2トントラックで安く引っ越せたので、結果オーライか。手違いで注文した机が明後日まで来ないので、俳句のあれこれはそれから。

団地内の植栽には、北海道では見られない植物が多く、それだけでも楽しい。車は処分してきたので、早く自転車を買わなくては。

引っ越しし最初の夜。夕方6時ころに夕食に出て、日が暮れているのに、とても暖かいのに驚いた。北海道なら真夏の夜の感覚。この前まで住んでいたところの気温を見てみると、今朝はすでに氷点下。なんともいえない感じがする

引っ越しの途中に函館に寄っている。昨日は青函連絡船「摩周丸」を見てきた。連絡船には高校の修学旅行の往復で乗っただけだが、いろいろと思い出す。

クラスに、決して男子と会話しない女子生徒がいて、男子の興味をひくような感じの人ではなかったこともあって、男子はみなただ「変な人」という目で見ていた。

彼女は、昼休みなどはいつも本を読んでいたので、私は何となく気になっていて、連絡船の甲板で話しかけてみた。(彼女は私と親しかった女子生徒と一緒だった)そこでは意外に普通に話ができて、驚いた記憶がある。修学旅行の解放感のためだったのだろうか。

彼女が男子生徒と決して話さなかったのには、何か理由があったのだろうが、当時はまったくそんなことには思いが及ばなかった。

彼女とは、それ以降は話せたような気がするが、そこはあまり覚えていない。

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