そういやツイッターで"とてもアバウトに言うと右派とは自分の身内だけ良くなればいい人々であり、左派とは自分が知らない人々の心配もする人々"みたいな事を書いてる人がいて、見た瞬間からモヤってるものはある。
結論からいえばそういうカテゴリ分けでの左派の人々も所詮は普通の日本人だったりするので、自分の知らないアフリカや中近東には緩く連帯してみせても、足元のマイノリティ差別などには知ったような気になって見て見ぬふりしてる向きが大半だよなと。
遥々ミャンマーくんだりまでボランティアに来る人々も日本のコリアンなどのエスニックマイノリティ問題を色々プレゼンしてみたところで心のバリアがありありと顔に写ってたりするので。まあまだミャンマー来ただけマシだよね、となぜか私がフォローする始末だったり。
ドキュメンタリー映画などは見れる人々でも実際の朝鮮学校には誘っても来ない人々など。
結局は脳内で"そういう人々"というカテゴリ分けをしたら後は"おいのり"でもしてシャットアウトしてる人々が大半だよね、と。まあわかるよ、生の声はシンドいしな。
自分が加害者側に立っていた、という情報は意図的にというか無意識的にリジェクトして都合のいい情報だけを翻訳して理解してるのよね。
まあ鏡といいますか、学ばせていただいてるところも大いにありますが。
私も私なんぞに絡んでくれた方々への数々の過失を思い出し懺悔する毎日ですわ。
あ、あとマルコムXやキング牧師が指摘した通り、マイルドなリベラルこそが現状維持に加担しており、それは60年前のアメリカの話ではなく世界各国で今も当てはまる真理であり、だからここジャパンでもマイルドリベラルがこの差別天国の日本を維持することに貢献してんだな、と改めて思うなどした。
まあ、いろんなもの人質に取られてるしな。
MLKが"KKKよりもトキシックだ"と指摘しただけはある。
誰もが誰も自分の生活で精一杯、というのはホントそうで、だからこそ自分と自分の周囲が良くなるために、というのは人としては当たり前の話ではあるのだけれど。
これが自分”だけは”良くなろう、周囲はどうでもいい、となるとトキシックになってくわけですわよね。
一方でそういう苦しい状況でも自分”だけ”とはできない、他者もまた自分のように良くなってこそ安心できる、というのは、モラリティでもあり、なんというか自分では制御のきかないそういう性質みたいなものでもあり。
でも他者を理解するというのは本当の姿を理解する必要はなく、たとえばジパングは黄金の国だと信じてたり西方に極楽浄土があると信じてたりすればそういう人々にとっては真実だったりするわけで。そういう想像の色眼鏡の中で他者を見ている限りは他者を思い遣ろうがポジティブな目で見ようが偏見からは抜け出せてないわけですよね。
自己満足で終えたいのであればそれでいいんだろうけど。相手の事をリスペクトする気持ちが少しでもあるのであれば、そういう態度も毒にしかならない、というのは共有されて然るべきアイデアだと思うのだけれど、どうだろうか。
ともあれ例えば英語圏のアジアンマザーあるあるで子供の頃「これ美味しい」と食べてたものを、時が経ち好みが変わった後でも箱一杯に送ってくる、とかそういう善意の例もあるわけで、いちいちそういうのを指摘すんのもアレなんだけど。
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一方でそういう苦しい状況でも自分”だけ”とはできない、他者もまた自分のように良くなってこそ安心できる、というのは、モラリティでもあり、なんというか自分では制御のきかないそういう性質みたいなものでもあり。