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安田浩一さんが関東大震災の本を執筆するさいのエピソードで、とび口がどういうものか実物を見たくて、ホームセンダーで若い店員を呼び止めて買おうかどうしようか逡巡したあげく買わなかった、というエピソードを延々と話していて。
で、鎌との違いもずっと話していて。

なぜその長いマクラを繰り返し語るのか、というと、とび口は人やモノを切るための道具ではないから、なんだよなと。
建物を破壊するための道具であって。

でも関東大震災虐殺では、その切るために使われるものではない道具でもって朝鮮人の頭をカチ割り、動かなくなった死骸をひっかけて運んだのだと。
そこに対する狂気というか、人を人と扱わない、外来種の駆除みたいなメンタリティに愕然としたからなのではないか。
そしてそれは101年前の今日、突如おこったメンタリティではなく、数十年にわたって培われていったメンタリティなのだと。

聴覚障害者などが”間違って”殺された、というけれど、たぶん殺した人々は、朝鮮人や中国人といった二等市民、市民ですらない不可触民だと信じ込んでいたから障碍者も平気で殺害したのではないか。

今現在でいえば、武器じゃないのにいちおう武器にはなってしまうもの、野球のバットやゴルフクラブで殺してもいい人々を殺す、というものではないのか。
ドゥームズデイとかプレッパーとかアメリカとかでイカれた人々がいるけれど、果たして日本の人々はそれを笑えるのだろうか。

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