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[コラム] ‘三たび小池百合子’で失われる朝鮮人虐殺の記憶

news.yahoo.co.jp/expert/articl

"小池氏の顔に、13年にわたって同じ東京都知事を務めた故石原慎太郎氏の顔がオーバーラップする。違いはある。差別用語の「三国人」を使い朝鮮人への嫌悪を煽った石原氏ですら、式典に追悼文を送っていた。その背景に戦中派世代としての意識や、今はもう朧気な‘日本リベラル’の監視の目があったのかは分からない。

だが、虐殺の歴史すら曖昧にする小池氏の心中はまるで、荒野のように茫洋として掴みようがない。追悼文の送付は選挙においても小さな問題に過ぎなかった。震災101年を迎える時期に起きたマイルドな差別主義者とも言うべき同氏の三選は、虐殺の墓標が忘却の一里塚になるのではという悪いイメージを呼び起こす。

良識ある東京の有権者の中には「何をまた古い話を。そう決めつけないでもらいたい。我々には生活がある。追悼文の有無だけで都知事を選ぶのではない」と顔を赤らめて怒る人がいるかもしれない。そうだろう。それは理解できる。ならば小池百合子氏に向かって声を上げてはどうか。「今年こそ追悼文を送れ」、と。"

x.com/DaegyoSeo/status/1810501

"このツイート、たくさんシェアされてるだけに記事のページビューもかなりのものだと思うでしょう?でも実際は微々たるものなのです。私が書くものが飽きられたり未熟な部分があるという前提を差し引いても、5年前と比べ日本社会の朝鮮半島への関心は半分以下になっているのは確か。なぜでしょうか。"

このテギョさんのつぶやき、考えてみるに5年前はムンジェイン政権で日本の歴史修正主義にNOを突きつけていた。
それがユンソギョル政権になり日本に媚びへつらう、というよりはアメポチになり、アメリカ様の基本姿勢「韓国は日本の言うことに従っとけ」に忠実になってる結果、日本の歴史修正主義に対し韓国の市民から怒りを買うほどに寛容になっている。

という前提がありさて日本の市民全体の反応、と考えてみるに、5年前は自国の加害の歴史などに関心が高かった、というよりは、「何やらうるさい事言ってる2級国家の隣国」への敵愾心から関心が高かっただけではないのか。

日本の市民のうち、反差別の人々は安倍晋三が去ってもなお酷くなる一方の歴史修正主義に警鐘を鳴らし続けてるわけで。
日本の市民のマジョリティ、普通の日本人からしてみれば、従順になった韓国というものは、まるでDV夫がDVやハラスメントの末に"従順"になった"妻"に対して関心を払わなくなるような現象と同じようなものではないのかしら。

まあぶっちゃけ、反差別界隈といえど普通の日本人なマインドセットの人々はかなり多いのでアレですけど。

要は小池百合子の追悼文取り止めが話題になったのは、歴史修正主義への反発から起きていたのではなく、ウルセエ韓国が過ぎた問題についてピーピー言ってるのが気に食わなくて注目されてたんだろうな、と。

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