「江南駅殺人事件」8年たったのにまたも…「もう誰も失うわけにはいかない」
japan.hani.co.kr/arti/politics

2か月前にソウル行った際に驚いたのは、デモの多さだったんですよね。
最終日は3.1節だったこともあり何万人規模のデモがあったけれど、そうではない、数百人規模のデモが街を移動してるとしょっちゅう出くわす。

このようなフェミサイドを記憶する、という重要なメッセージを込めたデモを矮小化させたい意図でこう書いてるわけでなく。
なんつーか、もうね、文化としてデモが韓国の市民の中にあるんだなと。

「え?なに?デモ?こわーい」と、拡声器を持って集まってる人々を異端視してしまう国に慣れてしまうと声を挙げることすら躊躇させられてしまうのだけれど。
デモこそ言論の自由であり、人権である、という事を改めて感じた次第。

日本だとデモしてる人に向かって”言ってることは正論だしわかるけど、大きな声あげるとか態度が問題。みんなの反感を生むよ”みたいなのが普通の日本人の反応なわけで。

ファシストというか、資本主義を統治してる側にとっては、市民の声を挙げさせないために市民を使う、というのはとても経済的で効果的な方法なんだろうな。

ああ、コスパね。
コスパがいいわけでしょう。

宗主国にとっても、属州の庶民が勝手に忖度して勝手に隷属してくれてんだから、ウハウハだよな。
そりゃ属州を統治する官吏が中抜きしてようとお目こぼしもするだろう。

コイツらはおぞましい俗物ばかりだが、我々に望ましい仕事はやってるのでお咎めなしでやらせてやる、的な。

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市民も市民で排外主義煽っとけば勝手にウジャウジャ弱い者を叩いてウサ晴らししてくれんだから。
まあ地獄の連鎖だよな。

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