モデルマイノリティという言葉を過剰適応者を指すのに使ってる方々を散見しますが、それは私の認識がおかしいんでしょうかね。
モデルマイノリティとはアメリカの白人中心社会における勤勉で文句も言わずある程度の経済基盤があり社会に福祉なども求めない”俺達にとって都合のいいマイノリティ”的な意味合いが強かったと思いますが。
一方でフィフィとか金美鈴、呉善花とかはモデルマイノリティというか適応度合いが行き過ぎて他のマイノリティや自身の出自でさえも攻撃してく人々を私は過剰適応者と呼んでおりますが。
あとマイノリティが声を挙げたときに必ず出てくる「私も○○だけどそんな事ない、努力が足りない」とか言ってくるヤカラは十中八九マジョリティ様のなりすまし。
ツイッタランドでは早々にネトウヨとの会話が成り立たないと見切りをつけたので1年か2年かの数少ない経験しかありませんが、”マイノリティとしての努力が足りない”的なクソリプかましちゃうのはもちろん成りすましだけでなくホントの当事者もいるわけですが。
少ないサンプルからの偏見ですが、たとえば日本に住むコリアンでも”あーこれホント過剰適応しちゃってんな”という印象を受けたのは、あくまで主観ながら、コミュニティとの繋がりがなく孤立させられながら試行錯誤してる、みたいな人が多かったなと。
あと書いてて思い出したので懺悔をこめて付け加えると、リシネさんかどなただったか、ネトウヨのクソリプにブチキレてた方に「まあまあ、相手にしない方がいいですよ」的な事書いたら即ブロされたなー、と。
ツイッター始めた当時は”他人の怒りを奪うな”という最低限の礼儀も知らなかったのでクソリプ送る形になってしまったよなー、と。
過剰適応者の例が女性だけになってしまいすいません。
男性だと名前が出てこないのですが、自身の出自が在日コリアンながら帰化して難民審査に携わりゴロゴロ落としてる輩がいましたが、ああいうnotoriousなのもおります。