野間
だから大衆的検閲に晒されてるものってそういうね、なんか書きたいもの書いたら怖い、叩かれたりするから怖い、みたいな人ではなくて、たとえばアンミカさんのようななんの謂れもなく、再現ドラマを見ただけでみんなに”密航”とか言われるとかね。
安田
まさに集団リンチの風景ですよね。
野間
それこそ安田菜津紀さんも同じような感じで在日コリアンというだけでそういうふうに叩かれる。
それでその人の言論が委縮する。
たとえばツイッターからいなくなったり、表舞台から消えて言ったりとか。
安田
いくらでもいますよね。
野間
もしくは命を絶つ人だっているわけでしょ。
トランスジェンダーとかもそうだし。
大衆に検閲されるのそっちちゃう?
って思いません?
つまりその人たちは生き方そのものを検閲されてるわけです。
きりのなつおとかいうても、作品じゃん。
だけど、生き方そのものをセンサーされてる人たちってのがいるよ、っていう事を考えんと。
大衆的検閲っていう、独善的なサヨクがー、とか、ポリコレがー、とか、キャンセルカルチャーがー、とか言ってる、まさにおまえが大衆的な検閲してる主体ちゃうの、って言いたいわけですよ。
安田
表現の自由を訴えている人間、僕も表現の自由を訴えてますから。
僕もね。
なんだけども、考えなくちゃいけないのは、表現の自由を訴えるのであれば、絶対に考えなくちゃいけないのは。
今、本当に表現の自由を奪われているのは誰なのか。
言葉を奪われ、沈黙を強いられているのは誰なのか。
表現の自由論者はその表現の自由をきちんと考えるべきだと思います。