(天声人語)女将の思い
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群馬県にある伊香保温泉での話である。1990年代のことだ。一軒の旅館で、大浴場にいた宿泊客が怒声をあげ、苦情を訴えていた。障害者の客が浴場を汚したからだった。すみません、すみません。女将(おかみ)だった松本和子(ともこ)さん(80)は何度も頭を下げ、謝った▼それでも客の怒りは収まらなかった。ついには障害者の宿泊が悪いかのようなことも口にした。女将はたまりかねて言った。「お客さんが別の旅館に行ってもらえませんか。この人たちは、うちにしか来られないんですよ」▼確かに当時、車イス用の設備を整え、障害者を積極的に受け入れている宿は少なかった。そばにいた娘の由起(ゆき)さん(54)は思った。乱暴な言い方だけど、母親は間違ってない。「あっぱれ。うちはそういう旅館なんだ」▼それから20年以上が過ぎ、旅館の女将はいま、由起さんが継いでいる。彼女が目指すのは、徹底して「旅行弱者」に寄り添う旅館だ。障害者や幼児を連れた家族客が、安心して過ごせる宿を理想とする。そのバリアフリーなどの試みが地元で注目されている

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▼先代女将の和子さんに尋ねてみた。なぜ、あのとき、あんなことを言ったのですか。和子さんは言いよどんでいたが、やがてポツリと言った。中学のとき、小児まひの仲良しの友だちがいたこと。その子が悲しい思いをしていたこと▼「でもね、そういう世の中じゃいけないと思ったんですよ」。和子さんは穏やかに語った。窓の外では、上州の連山が悠々たる姿を見せていた。

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