前も書いたかもですが、日本語で自己紹介というか名乗る際、「朴といいます。漢字の木にカタカナのトと書いてボクです」とわざわざ説明するのが定番なんですが。
それでも私の事を「パクさん」と呼んでくる人がいて、その人自身は善意なのだろうけれど、なんかこう言語化できないイラっと感を感じていたりして。
ちなみにわざわざ通名を聞いてきてその通名で呼ぶ人も少数ながらいたりして、そういうのは端から論外なのだけれど。
https://people-and-culture-lab.rakuten.net/column/945/
こちらのコラムがなかなか参考になった。
解決法、特にマイクロアグレッションを受けてしまった時のもの、は理想的過ぎて「それができりゃ苦労はしない」と思うけれども。
”マイクロアグレッションは無意識でも起こってしまいます。
そのため、これを防ぐには私たち一人ひとりが様々な属性を持つ人を「包含する(include)」ような言動を「意図的」に選択する必要があります。そうしなければ脳の性質上、無意識に「うっかり」誰かを「排斥(exclude)」してしまうことが起こるでしょう。
意識して多様な人々への尊重を示す言動を選択し続けることで、脳で無意識に排斥しようと作用する機能を止めることができるようになります”
まあ、色々あるのですが。
そういや思い出した、アメリカの映画かドラマかのシーンがあって。
そのドラマ自体はムスリムを悪魔化してた感じでウエっと思ったのだけれど。
主人公の息子の友人がムスリムで、英語名で呼んでくれと言っていたのだけれど主人公の息子は親しみを込めてなのか、ムスリムの名前で呼んでいて。
そのムスリムの友人の父親がテロリストで、たまたま主人公の友人がムスリムの友人の家に遊びに行っていた際にそれが暴露し、主人公の息子を監禁する、という、ありがちなパターン。
リーサルウェポンだったかな?なんかそういう。
で、「何をするんだ、友達じゃないか」主人公の息子が言うわけですが、「何が友達だ、俺の本当の名前も発音できないくせに」みたいなセリフを返すんですね。
それを思い出したという。
ああ、うん、そうだよなあ、と。