自分でもうんざりするほど繰り返してますけど、戦時中の差別の主体例すら他国に求めてしまう親愛なる普通の日本人のみなさん、伊丹万作の"戦争責任の問題"くらいは最低限100回くらいは読んでみられることをオススメします。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
以前紹介した際には、反差別で一家言然な方が誇らしげに読んでないと宣っていて驚きましたが。
日本人だからそんなことは読まずともわかってる、と仰りたかったんでしょうかね。
だから同じ過ちを何度も何度も繰り返すんだよ。
いい加減学べ。
"さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる"
"しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と"
"しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである"