ちらっと見たのでメンションしますが、日本のコリアンも日本政府の外国人差別と闘い続けてきましたよ。
ていうか在日コリアンの歴史は差別闘争の歴史とほぼイコールなのでは。
もっともジェンダー的なものはほぼ考慮されてきませんでしたが。
代表的なのが、指紋押捺制度ではないでしょうか。
とはいえ例えばこういうの見てビックリするんですが
https://kotobank.jp/word/指紋押捺制度-1543484
この押捺反対運動に総連もかなり関わっていたはずですが、見事にウォッシュアウトされてるのは、まあ、凄いですね。
ここにも歴史修正が入るのか。
”となると、外登法とは何のためにあったのでしょうか。同法の第一条によると、
その目的は「在留外国人の公正な管理に資する」とありますが、当時の政府の管
理概念は次のようなものでした。林修三など、当時の「外国人管理」に深く携わ
った法律家によれば、「公正な管理」とは「公権力が、人の生活関係に介入して、
その意思にかかわりなく、又はその意思を排除して、外部的にこれを規律する措
置を意味する」18)とのことです。日本の司法制度において、人間を対象として
「管理」という用語を使っているのは、外登法(2012 年まで)と出入国管理及び難
民認定法(現行法)だけです。公権力をもって人の「意思を排除して」まで、何
であれ外部的にその意思を規律する、これは戦前の日本植民地統治の考え方その
ものではないでしょうか。在日コリアンに関して言えば、2012 年までの「外国人
管理」体制は植民地思想の現代的な装置であり、「管理」よりも「統治」の概念の方
がふさわしいと思われます”
19-20p
”1993 年の「河野談話」と 1995 年の「村山談話」は、戦前からつづく植民地的思
想への固執から日本社会解放させる狙いをもっていたのですが、1997 年以降、保
守権力は「慰安婦」問題を教科書問題にすり替え、それを利用した自民党の新右派
が急速に自らの権限を拡大しました。その高揚は第一次、第二次の安倍政権に当
たります。
保守体制にとっては、「在日」と「慰安婦」の両問題が密接に繋がっているよう
に見られます。国家レベルでの「慰安婦」問題の否定と元「慰安婦」が納得でき
る解決(国会決定による謝罪と補償)の拒絶は 41)、大衆レベルでのヘイトスピー
チ・キャンペーンと微妙に重なり、それぞれは相互補強効果を生み出しています。
安倍内閣と在特会との間に人的交流があるというマスコミの報道が時々耳に入り
ますが、それは無理もないことでしょう。双方とも、国民の被害者意識と排外主
義をより合わせた形でかき立てることによって異民族も戦争責任もない、古い秩
序に基づいた「美しい」「強い」日本を取り戻そうとしているからです。”
P30
まあでも、若い同胞が「在日コリアンの上の世代がが外国人権利のために戦ってこなかった、朝鮮半島問題のために戦ってこなかった、恥である」、と憤るのも理解するんですよ。
氷河期世代のオッサンですが、今の現状をみれば「ゴメンね」という言葉しか出ないですね。