無自覚な差別は差別ではない、みたいな言説が受け入れられる日本語空間ですが、刃物は刃物ですよ。そういう言説を見るたびに「無自覚に腹刺されても大丈夫なら何回か刺されてこい」という穏便でない言葉を返したくなります。
差別主義者と差別者とをわけて、前者は強く非難されるべきだが後者はやんわりと、みたいな言説は、日本では差別主義者へのディスカウントにしか働かないのではないでしょうか。
また、差別を受けている当事者にしてみれば、”刃物を振り回して危害を加えている”という点において、二者に違いはありません。
さらには、差別主義者を指摘するには心理的な労力が要ります。当事者ならばなおさらです。そういう、プロテストの声を挙げている人に対して、遠巻きに「あんな感じじゃ伝わらないよねえ」と腐しているあなた方、本当に軽蔑しています。
@upasampada 少なくとも、僕はそういう趣旨で発言したのではないのですが…(やんわりした注意でいいとは思わないですし)。
反応が出過ぎているのはちょっと困惑しています。ただ、僕の投稿によって「差別に反対していいのだ」と思うマジョリティが増えるのなら、それでいいのかな、という思いもあります。しかし、あの投稿、やはり誤解を招くので消したほうがいいか、ちょっと今迷っています。
@lematin あああ、すいません、るまたんさんに宛てた文ではありません。最後の文は特に。
@lematin るまたんさんの元tootは理解するところではあるのです。
ただ、なんというか、日本では残念ながら、差別があって当然、というコンセンサスなので、その中で差別の当事者にとってその区切りはあまり意味がないし、ましてや「差別者と差別主義者を区別しよう」という言説が差別主義者にとって容易に換骨奪胎されてしまうのでは、という趣旨です。
@lematin というか、まさしくるまたんさんの元tootを都合よく曲解している人をチラ見してしまったので放ったtootだったのです。
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