難しいのは、ネトウヨは個人の問題でもあるけど、大局では社会が作り出してるんですよね、確実に。

私なんかは属性としては思いっきりネトウヨに脅かされてるカテゴリなんですが。
なんというか、ネトウヨ的なものというのは、日本の歴史修正主義とか、エスノセントリズム、宗主国根性、とかいろんな特性の上に成り立ってるところがあると思うのです。
最近の話ではなく、子供のころからネトウヨ的なものはゴロゴロ居たし。
社会がそれを許すようになったから彼ら彼女らも大っぴらに差別ができるものだとも。

教育の失敗、という人も多いですが、私は彼ら彼女らはまさしく日本の教育によって量産された人々だと思ってます。

山上襲撃事件以降、統一教会批判が韓国批判になり、リベラルと思われた人々からも普通に直球の差別発言がバリバリ飛び出したりと、とても残念ではありましたが、一方でやはり”日本人”というものは差別に無自覚なのだな、と再認識させられたのは記憶に新しいなと。

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もう四半世紀前の映画になりますが、スワロウテイルという映画で
「イェンダウンはお前たちの故郷の名前だろ!」
とプチ切れるシーンが今でもとてもとても印象に残っていて。

ネトウヨと呼ばれる人たちは、なんというか、ストローク飢餓でネガティブなものであってもストロークを得ようと泥沼の中にいる人々のような気がするのです。
で、日本のようなhomogeneous、かつ全体主義的な文化の中では、絶えず人の顔色をうかがい過ごしている人々が大半のように思えるのです。
で、ネトウヨというのはその延長線上にいるのではないかと。

確かにネトウヨって話通じないし、恥を知らないし、虎の威を借る狐的な救いようの無さがハンパないし、人間のクズみたいなんですけど。クズなんですけど。
でもそれって、とても日本的な文化の結果なのではないかと。
だからこう、ことさらにネトウヨを悪魔化して攻撃するのもどうかと思ってしまうところがあるのです。

とはいえ、ですよ。
「ネトウヨもしばき隊もどっちもどっち」
みたいなクソの足しにもならない冷笑系と比べたら、カウンターやってる方々は比較にならないほどの偉業を一人一人が地道にやっておられると思うのですよ。
思うのですが、例えばCRACの野間さんみたいに、ネトウヨは叩きまくって笑いものにする、というのも、上の仮説のように、ネトウヨがストローク飢餓の存在だとした場合、さらなる燃料を投下して、延焼さえこそすれ、消火にはならないのではないかと。
とはいえどうしたらいいんでしょうね。
ネグレクトチャイルドのケア方法とかが参考になったりするんでしょうか。

いずれにせよ、そういうわけで、カウンターのコールで
「レイシスト帰れ!」
とかやってしまうのもですよ、私からすれば
「在日帰れ!」
とか言ってるネトウヨロジックと相違わないものに響いてしまうものが少なからずあるのです。
あんたら、同じ日本人でしょうよ、と。

よう知らんけど。

まとめると、レイシストを日本という国が量産している以上、ネトウヨがウジャウジャ生えてくるのは避けられないので、草刈りみたいにカウンターも大事ですけど、大本の日本の政治や教育システムというマザーシップを叩かない限り無間ループですよね、というお話でした。

見て頂ける方は、そもそもそんなもん知ってるしやってるよ、という方々ばかりでしょうが。

なんというか、ネトウヨvsしばき隊、というのも一つの分断統治なのだなあと。

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