私はフォーク歌手の故・高田渡のファンだったのだが、かつて渡氏が詩人の金子光晴の詩に曲を付けて歌いたいと思って金子光晴本人に許可をもらいに行ったところ、頂いた言葉が「どうぞどうぞ、出してしまえばウンコションベンですから。出すまでが大変なんですけどね」だったという。出してしまえばウンコションベン、何とかっこいい言葉だろうかと思う。しかし、例の『セクシー田中さん』の作者のように作品はお腹を痛めて生み出した可愛い我が子だと思う感覚も十分に理解できるし、法律上はそういう感覚の方を擁護すべきなのだろうとも思う。私自身は生み出した作品(へたな張り子細工)をウンコションベンと感じるか我が子と感じるか、どちらの方かというと、これがいまいち自分でも判断がつかない。まあ、上手くできた作品は我が子と思うが失敗作はウンコションベンと思うだろうか。あと、作った当座は我が子扱いするが、次の作品に取り掛かった途端に興味が薄れてウンコションベンに変わるタイプかもしれない。思いっきり毒親タイプじゃないかと言われたら返す言葉もない。とりあえず、こないだ作った仁王像は現状「我が子モード」なので、毎晩酒を飲みながら眺めて「ウーン、我ながらいい出来…」とか言ってニヤニヤしている。ちょっとキモいかもしれない。