高校の時、「ドストエフスキーはじめとするロシア文学は登場人物が喋りすぎでリアリティがない、漱石はじめとする日本文学は口数がほどよくてリアリティがある」という雑なことを言われて、
今だったらドストエフスキーと漱石だけで「ロシア文学」「日本文学」を代表させるのは無理があるとか、リアリティとは何かとか、日本文化に浸って育った人はそれは日本文化から生まれたものにリアリティを感じるだろうとか色々思うんだけど、
その時は「いや、ロシア文学の方がリアリティがある。人はドストエフスキーの登場人物くらい喋る」と言い返したくらいにはわたしはよく喋る。
さすがに大審問官は無理ですが。