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鶏の軟骨をみて育児について感傷的になった 駄長文 

子が、鶏の軟骨を喜ぶ。焼き鳥や、手羽元と煮てほぐした粥を出すと、こりこり はいってる?と聞く。ほんとうに軟骨が好きなのかわからない。親が軟骨が好きで、こりこりおいしいね、と言って育てたせいかもしれない。こりこりは、あるとうれしいもの、親がよろこぶもの、そういう、なにかよいもののイメージなのだろうなと思う。それは子の好みが形成される前からあった。だから、穿った見方をするなら、この子独自の好みではないのかもしれない。しかし、多かれ少なかれ、そういうきっかけで人の好みは形成されるのだろうとも思う。きっかけの大部分を与えざるをえない者として、その責任の大きさに、途方もない気持ちになる。偏らずにもっといろいろな食材を好んでみせるべきなのかと思ったりする。でも偏りを引き受けるのが親なのかなとも思う。軟骨ひとつでそんなこと考えなくてもいいよな、とも思う。いつかそのうち、親の記憶などなしに、「軟骨が好きだ」と思う年頃になるのだろう。私がすでにそうなのだから。

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