星野智幸がいう「文学の言葉」は「究極の個人語」という話はよくわかるのだが、結局わたしたちは民主主義と社会運動でやっていくしかない(それは資本主義でやっていくしかない、というのと同じ)のだから、連帯が必要なのですわ そのうえでどうしたら「カルト化」しないように連帯できるかを探っていくしかないのですわ
星野智幸にはいまこそプロレタリア文学やレジスタンス文学、パルチザン文学(?)を書いてほしいですね
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