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いつも言ってること。女と土地のこと。 

こういう記事を見るたび、「出るしかなかった」と言って「出られた」ひとは出られた言葉があるけど、出られなかった人の言葉の拾われなさなんだよな。「外から女性に「来てもらうため」にはどうしたらいいか」って聞き取りはあっても「今ここに住んでいなきゃならないのはなぜか(それはポジティブな了承ではない)」「(家父長制の抑圧/搾取、そもそもの働く場所のなさやいろいろな苦痛から解放されて)ここに住み続けるためにどうしたらいいか」って話には聞き取りがないんだよな、ということ。
いつだって「本当にその土地に「いる」女」の声ってなくて、出て行った人の声だったり、それを呼び戻そうとする声ばかりで、「今ここで生きてる」はもう現状の肯定の数に入っちゃってるのがなんともなぁ〜という。
それをほんとに語る場がないし、そういうしんどさを書く物語もないし(ないとはなからあきらめている)、聞こうともされない。

いつも言ってること。女と土地のこと。 

「去る人」「去った人」は、語る場をまず得られることが、去らなかった人間よりも多い機会で回ってくるし、そのとき「語らなければ」とか語れるんだよな。でも、去らなかった人間は、「語ってはならない」という抑圧というか、しなければならない保身もあり、その「差」とかは加味されないまま、「肯定している」「甘んじている」「自分で選んだ」って言われちゃう、ということの不均衡。

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