個人投資する者への中傷を見かけて、私の言いたいこと
公が十分に機能していない中で、一生活者が取れる生存戦略として、ギリギリの中で個人投資を選択している場合もある。公が生活者をそういう状況に追い込んで、市民の分断も進めていると捉えることもできる。
資産家が個人投資をしている場合でも、それと並行して寄付をたくさんしたり、政府に金のない者の為にもなる政策提言をしたり、非営利の福祉事業をおこしたり、パイを奪った代償としてそうした行動を取っているケースだってあると思う。誰か何かの生命や尊厳の危機の時に、資産がマイナスになる事を承知の上で運用中の資金を引き上げて、寄付するとかもあり得ないことじゃない。
「それは流石に都合がいい資産家像だ」と言われるかもしれないけれど、ここまで極端じゃなくても、他者の生命や尊厳に全く無関心って事はほとんどないでしょう。
「個人投資をしている者だから、命や尊厳よりも常に金を増やすことを優先する」という像も随分都合がいい想像だと思う。
とりとめもなく書いたけれど、要するに、「その話、主語がでかすぎやしませんか」って事が言いたい。
「絶対分かり合えない」っていう感覚がどこからくるかって話だと、自分が属する社会として捉える範囲の違いな気もしていて、
例えば「自分の会社の従業員を食わせるため」や「同一世帯の者を養うため」と、「日本で暮らす全ての者が飢えないため」や「地球上で暮らす全ての生命をもつ存在が幸福に生存するため」というような。
現実には家庭のような小さな範囲の社会でも、それが属する大きな範囲の社会と相互に強く影響し合う。全ては繋がっていて切り離せず、権力勾配がある中で小さな範囲の社会だけを利する行為は批判され是正されるべき。
他者の命や尊厳を踏みにじる行為をしている者には、この事実を伝えよう。