個人投資する者への中傷を見かけて、私の言いたいこと
「国とかの公が個人投資を強く奨励したり、優遇するのは、貧富の差を拡大させ、加えて一般市民の倫理観の荒廃を招く危険性がある」っていう話はとても共感するところなんだけれど、だからといって株式の売買に携わっているという一点を持って、ある者について"クズ"だとか"命よりも金を優先する価値観を持ってる"とか言われるのは我慢ならないな。「それ決めつけだよ」って言いたい。
市場の論理に任せると、労働者の搾取やパイの奪い合いへの強制参加(生存競争させられる)が起きる。だから公が賦課式の課税と、公共事業(雇用の創出)や給付などの支出をセットでやる事で、貧富の差の是正や尊厳の保障をしなければいけないんじゃないか。
その話をすっ飛ばして、一個体の存在の在り方や価値観について想像で決めつけて、中傷するのは看過できない。
個人投資する者への中傷を見かけて、私の言いたいこと
公が十分に機能していない中で、一生活者が取れる生存戦略として、ギリギリの中で個人投資を選択している場合もある。公が生活者をそういう状況に追い込んで、市民の分断も進めていると捉えることもできる。
資産家が個人投資をしている場合でも、それと並行して寄付をたくさんしたり、政府に金のない者の為にもなる政策提言をしたり、非営利の福祉事業をおこしたり、パイを奪った代償としてそうした行動を取っているケースだってあると思う。誰か何かの生命や尊厳の危機の時に、資産がマイナスになる事を承知の上で運用中の資金を引き上げて、寄付するとかもあり得ないことじゃない。
「それは流石に都合がいい資産家像だ」と言われるかもしれないけれど、ここまで極端じゃなくても、他者の生命や尊厳に全く無関心って事はほとんどないでしょう。
「個人投資をしている者だから、命や尊厳よりも常に金を増やすことを優先する」という像も随分都合がいい想像だと思う。
とりとめもなく書いたけれど、要するに、「その話、主語がでかすぎやしませんか」って事が言いたい。