息を吐くように「反ポリコレだからすごい!」を叫ぶの増えてるなあ。中国は国是として反ポリコレ(反米)だからなんだろうな。中国主流言説を反復するとこうなる

“なるほど、日本のサブカルが海外にこんなにウケてるのは「社会から求められる仮面を外してもいいんだという」自己肯定感もあるのか。中国で「月曜から夜更かし」がウケてるのもそういう理由かも。

ポリコレと両極に位置してるからポリコレに睨まれるのは納得。”

x.com/chamio22/status/18482119

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これをRTしてる人を見て、アホなんかなと思った。「その通り」の範囲によってはRTする側が愚かさを晒す。

“その通りだと思う。中国で特に好まれているスキップとローファー、ぼざろ、ペルソナは全て学生社会における暗黙のルールと自分の意思との葛藤という共通のテーマを含んでいる”

x.com/eichan_gz/status/1848284

「人間関係とコミュニケーションの実存に狭める政治性」が権威主義国家では許容されて、マジョリティカルチャーとして人気っていう話だよなーと。日本側で起きてるのは「人間関係の問いは政治じゃないよね」という無邪気なトーンだなと。

『勤勉で愚かな〜』のときに、友人に説教っぽくいろいろ説明したが、90年代から00年代にかけて、「メディア社会のカリカチュアと政治」と「高度なメディア社会のなかの俺の実存」の両極があって、それは混ざりながら同居していたんだけど、00年代の言説空間では後者だけが純化されていった結果、NHKにようこそとか筋少の聖典化が起きたけど、それは同時に「脱政治かつ実存の問いだけ」にする過程でもある。
この両者の混ざり合いは山本直樹にも新井英樹にもあるが、前者を焦点化する作業がとにかく進まない。『勤勉で愚かな〜』を考えるならその途絶えた系統を改造するのがいいんじゃないかと。

ここでの「メディア社会のカリカチュアと政治」路線の萌芽のようにあったのが『国民クイズ』(原作:杉元伶一/作画:加藤伸吉)。日本マンガはこの方向性をあまり開拓できなかった。いま見ると若干ミソジニーにも見えるが、当時では目立って濃いわけでもない。
今は一周してこの種のトライアルがなぜ蓄積されなかったのかが問われる段階に入っている。

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