おそらく摩擦がないことで生まれる平穏とその情景への愛着が山田に強すぎるんだと思う。これは加害性が無いからすごいと称賛されているのが現状だが、実際には同時にある種のフェチであり、ホラーやアクションが変容、出来事、行為による秩序変化を重視するクライテリアを伴いつつ、変容や豹変をめぐる場面のフェチになりやすいのと単なる逆のフェチが駆動されている。
その結果、コンセプトやモチーフが「出てきたら即座に収束点が予想され、展開が乏しい」という弱点を抱える。属性が本質のように措定されて大して動かない、変化しないのが美徳にされているような面がある。ストレスを回避した結果、自己解放のエナジーもマイルドに抑えられてしまう。
ちなみに黒沢清は変容、豹変の手癖化、フェチ化に近い。それはそれでどうなのとなる。