長山靖生の『偽史冒険世界』を読んでると、大本教とか天津教とかの教祖って、所属した教団の支部所属から始まって成り上がって、独立するときに「華族のご落胤」などと名乗るみたいで、まるでなろうやん!となる。

こういうことを考えるにあたって、貴種流離譚という枠組みはどこか生ぬるいのも気づく。既存の権力構造を丸コピした上で「俺がそれってわけ」が新興宗教の偽史のシミュラクル側面なんだが、そういう便乗と占拠の面が抜け落ちるなあと。

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竹内文書の天津教の創始者、義父母に虐待されたとか、剣豪キャラで開始したとあって、ここでも「なろう/ウェブトゥーンかよ!」となる。 

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