近過去四季賞受賞作をちょいちょい見繕って読んでた。
呪術廻戦渋谷事変を、「労働者としてのストレスフルな生活」要素を足してうまく改造したような作り方だな
“四季賞、こんなにガン責めでいいんだ。めっっっちゃよかった。お手本みたいな作品。
https://comic-days.com/episode/316112896867009003 ”
https://x.com/gagaga21480621/status/1588771583455563777?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
水田マルは今作(2022夏)の後、もう一度四季賞で受賞し(2022冬)、それから裏サンデーで『アヤシデ』で連載化か。
なるたるやぼくらのは性的モチーフや破壊、生死を露骨にやることで先鋭化したが、これは90年代文化から永井豪をやったというところがある。いじめとポルノなどの成分配置が90年代モード。
他方、モチーフは共通するが、構成要素間の隔離をうまくやったのがチェンソーマン。デンジがいかに胸がどうこうのと吠えようと作品秩序がデンジのリビドーとあまり連動しない。
アヤシデはそこで、性愛要素はいったん括弧において、友愛と不和に集中することで別の尖らせ方にチャレンジ。いじめがシリアスなティーンズに刺さりそう。藤本は教室内秩序の感度を尖らせるには歳食ってるので若い人の方が有利になる。吉野マトもだが。
バトル漫画は青年期における生の要素の昇華として展開するんだけど、それを構造化しつつコントロールして擬似的にメタを張れてるのがチェンソーマンの強み。メタで一段上をやるのではないなら、ドロっとした熱量でぶっ飛ばすしかない。この二択に挟まれると、田辺イエロウ「界変の魔法使い」はベテランとして達者だが、藤本的なキレの良さも、若い人の武器もない、と鮮明になってしまう。
『アヤシデ』、だいたい全部読んだ。希死念慮と世界破壊の熱量はチェンソーマンよりあるので、もう少ししたら話題になりそう。3巻が発売されてまもないが、ちょうど3巻から展開が激しくなってきてる